- それはいつもと変わらない朝のはずだった。
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- 時はヤキンドゥーエの戦いが終わった1年以上が過ぎようとしていた。
- 直後は廃人のようだったキラも、このところは笑顔も見せるようになり、共に暮らすラクス達も少しばかり安堵の息を吐いた。
- そんな平穏な日常の中で、いつもの様にネボスケのキラを起こしに来たラクス。
- 寝室に入り、ベッドの中にいるキラのところへゆっくりと近づく。
- しかしすぐには起こさず、じっとキラの寝顔を見つめている。
- あどけない寝顔はまるであどけない少女のようで、ラクスはこの寝顔を眺めているのが好きだった。
- 本人はそのことを言うと怒るので、黙っているのだが。
- と、そこまでは本当にいつもの朝の光景だった。
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- いつもと違ったのはこの後だ。
- キラは悪い夢でも見ているのか、少し魘されている。
- 最近はほとんど見なくなったということだが、それまでは悪夢に魘されて睡眠を取る事もままならなかっただけに、ラクスは心配になってキラの顔を覗き込み、大丈夫ですかと肩を揺らした。
- するとキラはパチッと目を開けて、勢いよく上半身を起こす。
- 当然そこにはラクスの顔があるわけで、2人は額の辺りを激しく打ち付け合った。
- 目の前に青白い光が飛び散り、悶絶する2人。
- しばし声も出せずに目をぎゅっと閉じてその場に蹲ったキラは、光が迸る前に僅かに見えた揺れる桜色に、起こしに来たラクスとぶつかったのだということだけは理解していた。
- まだクラクラする頭を抱えたまま、しかしラクスの心配をした。
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- 「ラクス、大丈夫?」
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- そこで自分の声に違和感を覚える。
- 自分が確かに声を発したはずなのに、聞こえてきたのはラクスの声だった。
- キラはあれと首を傾げて目を開けた。
- そこでとても驚いた。
- 何故かベッドで頭を抱えて蹲っている自分の姿を見つめていたからだ。
- 一方のラクスも、額は痛いが大丈夫だ、ということをキラに伝えようとする。
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- 「はい、私は大丈夫ですわ」
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- しかしその声は明らかにキラの声だった。
- 不思議に思ったラクスは額を抑えたまま顔を上げ、キョトンとした表情でキラを見つめる。
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- 「あら、何故私が目の前にいるのでしょう」
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- こちらを見ているのは、明らかに自分だった。
- そして自分が発した声は、間違いなくキラの声なのだ。
- 2人は自分達の身に起こった事態を飲み込めずに、呆然とお互いを見つめ合った、時間が止まったように固まっていた。
- それはキラを呼びにいったまま、なかなか戻ってこないラクスの様子を見に来たマリューに発見されるまで続いていた。
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「Chenge」
-
-
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- 「ラクスさんどうしたの。早くしないとキラ君の朝ご飯を片付けちゃうわよ」
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- マリューはそう言いながら、キラの寝室を覗き込んだ。
- すると、そこにはベッドの上に座って見つめ合っている2人の姿が。
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- 「イチャイチャするのは構わないけど、それはご飯の後でしてちょうだい」
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- その様子を見たマリューは苦笑を浮かべて溜息を吐く。
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- 「違うんですよ、マリューさん」
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- しかしそんな甘いことをしているのではないと、ラクスが抗議の声を上げた。
- そんなラクスにマリューは少し違和感を感じる。
- 話し方が微妙に普段のラクスと違うのだ。
- 物言いもおっとりしたものではく、幾分早口だ。
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- 「はい、マリューさん。それが、大変なことになってしまいまして」
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- こちらもキラから普段聞きなれない敬語で、ゆっくりした口調で話し掛けられる。
- それもそのはず、実際に声を出したのはラクスの姿をしたキラであり、キラの姿をしたラクスなのだから。
- マリューは何とも言えない変な表情で、どうしたの、と思わず聞き返す。
- 2人も自分自身に起こった出来事にまだ半信半疑ながら、代わる代わる状況を説明する。
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- 「ええっーーーーー!!」
-
- 2人の説明を聞いたマリューは、しばらく固まった後、心底驚いたと言わんばかりに目を見開いて、たっぷり大きな声で悲鳴を上げた。
- その声を聞きつけて、バルトフェルドとカリダもキラの寝室へバタバタとやってくる。
- そしてどちらもマリューと概ね同じような反応を示す。
- マジマジと2人を見つめて、それからどうしたものかと相談する大人達だが、当の本人達はだいぶん落ち着きを取り戻してきた。
- というより、危機感を全く持っていない。
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- 「はあ、でもまあ、そのうち元に戻るんじゃないですか?」
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- ラクスの姿をしたキラは飄々と言い放つ。
- まるで今日の天気予報は外れたね、くらいのゆる〜い緊張感だ。
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- 「焦っても仕方ありませんわ。まずは少し落ち着きましょう」
-
- キラの姿をしたラクスも、のんびりした口調で言う。
- 大人達は思わず脱力しそうになるが、今この状況において、2人に慌てた様子は無いのが唯一の救いだ。
- しかしいつもと異なる口調で話しかけられる周囲にとっては、違和感があることこの上ない。
- それにこのままもし戻ることができなかったらどうなるのか。
- そのことを考えると大人達としては2人のように落ち着いてはいられなかった。
-
- その内に、パニックを起こしたカリダから連絡を受けたアスランとカガリもやって来た。
- 最初は皆にからかわれていると思ったカガリも、いよいよ冗談でやっているのではないと分かると、何でこんなことになったんだと喚きだす。
-
- 「キラ、お前は本当に人に心配ばかり掛ける奴だな」
-
- キラの方を見て、カガリが皮肉を言う。
- 廃人になりそうだった時から、カガリは忙しい公務の合間を縫って、キラの様子を見に来ていた。
- それが最近の様子を嬉しく思っていたのだが、かと思っていた矢先にこれだ。
- これではおちおち仕事もできないと、勝手な言い分ながら、真剣にキラのことを心配する。
-
- 「いえ、カガリさん。キラはこちらです」
-
- とキラの姿をしたラクスが、横に居るラクスの姿をしたキラを指す。
- 入れ替わっている2人としては、親切のつもりで言うべき相手をきちんと知らせたつもりだった。
- しかしカガリは頭を抱えて呻くと、吠えた。
-
- 「そんな揚げ足を取らなくていい。とにかく、2人がどうしたら戻れるのか考えるから、ちょっと待ってろ」
-
- カガリは言い終わるとアスランの方へ向き直る。
-
- 「アスラン、何とかならないか」
-
- 振られたアスランはうーんと唸って考え込む。
- いかに彼が優秀なコーディネータでも、人格が入れ替わるという今まで聞いたことも無い事象に答えが出るはずもなく、何が原因でどうしてこんなことになったのかということを、ああだこうだと推測し合う。
-
- そうしてアスラン達が真剣にどうすればいいかを悩んでいる間、キラとラクスは正直暇だった。
-
- 「ねえラクス、僕少し外の風に当たりたいんだけど」
- 「まあ、気分が優れませんか」
- 「いや、そうじゃないけど、何だか外の風に当たって、ちょっとすっきりしたいだけ」
- 「そういえば先ほど魘されていましたわ。何か悪い夢でも見ましたか」
- 「あんまり覚えてないけど、ちょっとそんな感じかな。でも心配しないで、前みたいに戦争の夢じゃ無かったよ」
-
- 自分の姿をした相手に話し掛けているというのに、お互いに違和感は無いらしい。
- 入れ替わったことなどどこ吹く風で、2人の世界に浸りだす。
- そして皆の邪魔をしては悪いと、そーっと部屋を後にして外へと出た。
-
- 一方のアスラン達はそれに気付かず、とにかく何でこうなったのかをもう一度本人達からじっくり聞こうと話がまとまったところで、アスラン達はキラ達の方を振り返った。
- するとそこに、キラとラクスの姿が無かったので、たいそう驚いた。
-
- 「あんな状態で何所に行ったんだ!」
-
- 部屋から出て行ったことに気付かなかったことを不覚に思いながら、皆慌てて2人を探しにキラの寝室を飛び出す。
- 家の中をくまなく探しても見つからず、家の外へと飛び出して、各々2人がいそうな場所を探して駆け回る。
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- アスランは海岸沿いを2人の姿を求めて走った。
- そして十数分ほど進んだところで、2人が海を眺めて座っているの発見した。
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- 「2人とも〜、心配をかけないでくれ。今どうゆう状況なのか分かっているのか」
-
- 発見するなり全力で疾走して駆け寄り、肩で息をしながら捲し立てるアスラン。
-
- 「いや、外の風に当たって海を見たかったからさ」
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- そんなアスランに、ラクスの姿をしたキラがのほほんと答える。
- その緊張感の無さにアスランはガックリと脱力するが、ともかく何も無いのは良かったと胸を撫で下ろす。
- 後は元に戻ってくれさえすれば言うことなしだ。
-
- 「とにかく戻るぞ。ほら、立て」
-
- 言いながらキラの腕を掴んで、ぐいと立たせようとした。
- しかしそれはキラの姿をしたラクスであって、ラクスは小さな悲鳴を上げる。
-
- 「痛いですわ、アスラン。立ちますから少し手の力を緩めてくださいな」
-
- それを見てキラが立ち上がって喚きたてる。
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- 「何やってるのアスラン。いくら君でもラクスにひどいことをしたら許さないよ」
-
- ラクスの目を怒りに吊り上げて唸る。
- その迫力に尻込みしながら、すまないと謝って、アスランの頭は少し混乱してきた。
-
- 今キラはラクスの姿をしていて、ラクスはキラの姿をしていて、今俺が立たせようとしたのはラクスの方か。
- ということはラクスに対してキラと接するように接すればいいのか。
- ん?違うか?
-
- とまあ、アスランの頭の中はどちらがどっちかということが、ぐるぐると駆け巡っていた。
-
- 「まあまあ、私達のことを心配してこうして来てくださったのですから、気を静めてくださいな」
-
- キラの姿をしたラクスが、甘ったるい声でラクスの姿をしたキラを宥め、体を摺り寄せる。
- ラクスに窘められて、キラも表情を緩める。
- アスランはこんな状況においても甘い世界に浸れる2人を、ある意味たいしたものだと感心すらしていた。
-
- その時、ハロがラクスの名前を呼びながら飛び跳ねて向かってきた。
-
- 「あら、ピンクちゃんも心配して来てくれたのですか」
-
- キラの姿をしたラクスが笑顔を浮かべ、受け止められるようにハロに向かって手を差し出す。
- 当然キラも、ラクスの方に飛びつくんだろうなと微笑ましく見つめていた。
- しかしハロはラクスの姿をしたキラ目掛けて飛びついた。
- 全く身構えていなかったキラは、思い切り顔面にハロの体当たりを喰らった。
- その衝撃に思わず仰け反る。
- ラクスもキラを心配して大丈夫ですかと、後ろから支えようとした。
- しかし仰け反ったキラの後頭部が、思い切りラクスの頭を襲った。
- ゴンと鈍い音が響いて、再び青白い光が目の前に飛び散り、頭を抱えて砂浜に倒れこんで悶絶する2人。
- アスランが慌ててハロを捕まえて、大丈夫かと心配そうに2人に声を掛ける。
- しかし2人はしばし倒れこんだまま動けなかった。
- それを見て慌ててバルトフェルド達を呼びに、駆け出すアスラン。
-
- 「ラクス、大丈夫?」
- 「はい、キラこそ大丈夫ですか?」
-
- しばらく悶絶していた2人は、少し頭の痛みが治まったところでお互いのことを気遣った。
- その時、ちゃんと自分の声で相手の名前を呼ぶことができたことに気がついた。
-
- 「あれ、ラクス、ちゃんとラクスの声が出てるよ」
- 「まあ、キラの声もちゃんと聞こえますわ」
-
- 言いながら顔を上げて、お互いの姿を確認する。
- そこにはいつもの見慣れた、愛しい人の姿があった。
- 頭の痛みを忘れて、安堵の笑みを浮かべる2人。
- やはりちゃんと相手の姿が見えるのは、心がとても落ち着いた。
-
- そこにバルトフェルド達を引き連れてアスランが戻り、病院へ運んだ方がいいかどうかとまた大騒ぎする。
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- 「アスラン、落ち着いて。僕らなら大丈夫だから」
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- キラが、キラの姿、声でそんなアスラン達を宥める。
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- 「キラ、お前、元に戻れたのか?」
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- いつものキラの話し方に戻っていることに気がついたアスラン達は、驚いたように2人に確認する。
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- 「はい、皆さんにはご心配をお掛けしました」
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- ラクスが、ラクスの姿、声で、いつものゆっくりした口調で肯定する。
- それでどうやら本当に元に戻れたらしいことを確認したアスラン達も、心底安堵した様子で笑みを零した。
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- 「いやあ、一時はどうなるかと思ったけど、元に戻れてよかったよかった」
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- カガリが皆の気持ちを代弁する。
- 話を聞いたときには本当にどうなることかと思ったが、こうして元に戻った2人と話をすると心がとても落ち着く。
- 皆誰もがキラとラクスのことを大切に見守りたいと願っていたから。
カガリ達はそのことを注意し、或いはからかって、各々喜びを表現する。
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- その時、キラのお腹がぐぅ〜となった。
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- 「そういえば、朝ご飯まだ食べてなかった」
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- 少し恥ずかしそうに、キラが笑った。
- どこまでもマイペースなキラに、アスラン達もまた笑みを零して、じゃあ早く戻ろう、と家に向かって歩き出す。
- キラとラクスも微笑み合って、手を繋ぐとゆっくりと皆の後をついて行く。
- いつもと変わらない、いつもの2人のペースで。
-
- 結局、今日も平穏な一日が過ぎようとしていた。
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