雪解けの桜
- もうすぐ桜咲く季節。それは出会いと別れの季節。今年もそんな季節が巡ってきた。卒業する先輩や卒業前にと年明けからこの時期にかけて告白が集中する季節でもある。そして新しい生活に浮かれて新しい関係を築こうとする季節でもある。そんな状況もあってか人気のある女生徒男子生徒は告白ラッシュにみまわれていた。だがそんな中で一風変わった状況にいる人物が一人………この物語の主人公の一人キラ・ヤマトである。彼の場合今年卒業するわけも入学するわけでもないのだが何分人目を引く容姿の為かはたまた彼の性格か雰囲気か、彼が入学してから毎回行事ごとが近づくたびに女生徒からの告白ラッシュに巻き込まれていた。だから彼が校門で待ち伏せされたり、下駄箱や机の中にラヴレターが入っていたり、休憩時間帯に呼び出されたりする事は不思議ではなかった。ある人物から以外を除いて。
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- キラがその不思議な異様ともいえる状況にみまわれたのは2年生に上がった時だった。その異様ともいえる状況の始まりは一通の手紙だった。その手紙を目にしたのはまたかと云う手紙の山を下駄箱で目撃した時だった。下駄箱を開ければ手紙が入っている。その様子を見た友人たちには羨ましがられたり冷やかされたりしていた。そこまでは何も珍しい現象ではなかった。違ったのはその中に含まれている一通の手紙。ラヴレターの山の中でも明らかに意味の違うものが混じっている。不思議に思ってみてみるとそこには古風にも卒業式や入学式でしかお目見得できない祝辞や答辞、送辞に使うような大昔の手紙スタイルの物が置いてある。それはラヴレターに混じっている中でも異様に目立っていた。それは今までにない事だった。
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- 「毎回すごいな。お前。よっ女泣かせ。……ってどうした?」
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- 友人の一人がいつもの照れを含んだ苦笑いが返ってこないと不思議に思ってキラが唖然と見つめているものを確認する。そこには今どき珍しい手紙スタイルの手紙が入っている。それよりもそれは手紙なのかとも疑問に思えた。送り主が書いてあるだろう場所にはキラの手があって見えない。それに裏返した状態でまじまじと見ているものだから表書きには何が書いてあるのかわからない。疑問に思って聞いてみると何も言わずにそれの表書きを友人に見せる。そこにはご丁寧にも毛筆の達筆な文字で『果たし状』と書かれていた。
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- 「『果たし状』?今どき珍しいな。時代遅れだぞ。誰だ?こんな面白い事したやつは。新手の嫌がらせか?」
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- 笑いを含んだ声で言う友人はその相手をからかう気でいるのだろう。キラ相手に『果たし状』と云う冗談を突きつける人物だ。ユーモアのある冗談としかとっていない。だがそう言っていられたのは贈り主の名を見るまでだった。
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- 「これを見てまだ笑えるなら良いんだけどね。ホント悪い冗談だよ。いったい僕が何したって言うんだっ」
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- そこに書かれていた送り主とはこの学校の生徒会長で誰も逆らえないと言われている女性、ラクス・クラインの名前があった。
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- 「ラ、ラクス・クラインってラクス様?なんで氷の女王がお前に『果たし状』なんて出すんだよ?」
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- 「そんなの僕が知りたいよ………。これ開けるのが怖い………」
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- 頭を抱えて唸るキラ。それもそうだろう。氷の女王と言われ恐れられている女性だ。氷の微笑はあれども温度のある彼女の笑顔を見た事がある者はいないとまで言われている。ましてその絶対的な統治力は群を抜き、教師までをもひれ伏させている。入学して一週間しかたっていない新入生が名前を聞いただけで怯えさせるほどの効果を持っている。更にどこぞの財閥の御令嬢で逆らうと退学させられるとか常に全国のトップクラスの成績をキープしており、学校の授業は受けなくても良いほどなのにわざわざ学歴に高校出を入れる為だけに通っているとかそう言う噂がまことしやかに流れている。怖くない訳がない。キラとてラクスの事を良く知りはしないが彼女の放つ王族の様な気品と威厳には近寄り互い雰囲気を感じていた。
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- 「と、とりあえず、な、中を見てみないと何とも言えないだろ?お、俺は陰ながら応援してるから頑張れよ。じゃあな」
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- 「あ、ちょっと。僕を置いて逃げる気?」
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- その友人は徐々にキラから遠ざかりある程度の距離を置いたらすたこらさっさと逃げて行った。その状況に見捨てられたと思ったキラは必死で止めようとしたがあと一歩と云うところで逃げられてしまった。
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- 「俺はまだ安全な学生ライフを謳歌したいんだ。俺は帰るがお前は頑張れよ〜。健闘を祈る。大丈夫だ。骨は拾ってやるから」
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- 無責任にも絶対に捕まらないところにまで逃げてから大声で応援する友人に途方に暮れるキラ。逃げ際に玉砕決定と云うような言い方をしていた彼の言うとおり中を見てみない事には何とも言えない。恐る恐る手紙を開き、中を見る。そこには毛筆の美しい文字で『四月十八日放課後裏門まで来られたし』との一文があるだけだった。今日は新学年が始まり、新入生を迎える行事が終わってようやく一週間が過ぎたばかり。そんな状況だと云うのにこんな誰からも恐れられるような女性に目をつけられた自分の運命を呪うしかなかった。
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- その翌日からあれほど鬱陶しいと思うほどにあったラヴレターはまったくこなくなった。それどころか仲が良いと思っていた友人にまで腫れものに触れるように自分を遠巻きにしていく。あの『果たし状』の一件を見た友人やその周りの者から一気に噂が広まりキラの傍にいれば巻き添えをくらうかもしれないと恐れ近づかない。完全に孤立無援の状況となってしまった。この状況を作り出したラクスを恨まずにはいられなかった。この状況に寂しさを感じたキラはいっその事呼び出しをすっぽかしてやろうかと考えたが数日間よくよく考えてみればこういう状況に立たされているのは彼女も同じなのではと思うようになった。彼女の持つ背後関係や不確実な噂で彼女も一人きりでずっとこの2年間耐えていたのではないかと。氷の女王とか言われ、彼女の持つ気品や王族さながらの高貴な雰囲気に気後れし、誰も彼女に近づこうとしなかったのではと。そう考えれば少し彼女に対しての恐怖は薄れていった。誰も見た事がないと云う温度のある微笑み。その微笑みを見せないのではなく見せられない状況なのではと考えればそこまで怖いとは思わなかった。
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- そして呼び出された日4月18日。約束通り放課後裏門に来てみれば噂の氷の女王ラクス・クラインは先に来ていたようで桜の木の下で佇んでいた。その時の彼女は学校で言われているような冬の冷たい氷の様な女性のイメージではなく春の暖かな桜の妖精のように見えた。彼女が自分の存在に気付くまでの短い間だけだったが今までに見た事のない様な表情の彼女。表門の桜と違いやや遅咲きの裏門を飾る様に立つ桜の木の下で舞い散る桜を見つめるその姿は噂とはかけ離れた表情だった。だがそれは彼女がこちらに気付くまでのほんの僅かな時間。ラクスがキラの存在に気付くと居住まいを正し迎え討つ姿勢をとる。あの束の間に見られた桜の花弁と戯れる少女の様な表情は奥に引っ込み学校で良く見かける氷の女王の様な女性が立っていた。
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- 「貴方がキラ・ヤマト?」
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- さっきまで少女の様に桜と戯れていた人物と同じ人物なのかと疑いたくなる様な彼女の表情の変貌ぶり。先ほど見た表情は幻覚だったのかと呆けて彼女に呼ばれるまでその場に固まっていた。自分の名前を呼ばれてはっと気づき、その雰囲気と変貌ぶりに気圧されながらも恐る恐るそうだと答える。
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- 「は、はい。あ、あの会長?いったい何の用事で僕をここの呼びだしたんでしょうか?」
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- 先ほどからこちらをじろじろと見つめるアクアマリンの瞳に落ち着かないキラは呼び出した内容を聞くべくやっとの思いで疑問をぶつける。考え方を変えれば恐怖は薄らいでいたとはいえやはり本人を前にすればその纏う空気に恐れをなしどうしてもつまってしまう。
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- 「そう言えば本題を書いておりませんでしたわね。わたくしとした事が迂闊でしたわ。キラ・ヤマト。10月にあった難しい事で有名な全国模擬テストを一年生なのに受験生と同じテストを受けて第一位を取った生徒ですわね?あの時は手違いで三学年とも同じ内容の模擬テストでしたのに受験生の三年を差し置いて学校内一位。更に全国でも一位を取った。全教科全問正解と云う偉業を成し遂げて。間違いありませんわね?」
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- 確認と云うよりは取調べを受けているような感覚がするのは気のせいだろうか?それにその話題は何カ月も前の話だ。結果が出た時には学校中がその話題でもちきりだったと云うのに何を今更半年近くも前の事テストを持ち出されるのだろう?マークシート式だからまぐれで当たった部分もあると云うのに(それでも偉業には違いない)なぜ今になってそれを持ち出されるのだろうか?
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- 「た、確かにそれは僕であってますけど……それがいったい何なんですか」
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- 疑問に思っている事を尋ねると、ラクスは調べたのであろうキラの事をつらつらと語り出す。一体どこから調べてきたのであろうかと云うような家庭事情まで。
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- 「キラ・ヤマト16歳5月18日生まれ牡牛座のA型。家族構成は叔父叔母貴方の3人家族。訳あってヤマト家に養子入り。本来はヒビキ。双子の妹か姉かがいる。この学校には首席で合格。現在も追随を許さぬ独走状態。運動神経も良好。芸術分野も上の中。だが朝が弱いのかどうかは知りませんが遅刻の常連者。最高連続遅刻記録12回。ですが遅刻はあれども欠席はなし。流石に行事ごとの遅刻はなく、それの欠席もない。遅刻以外は非の打ちどころがない。よって勝負ですわ」
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- 「何んで!?」
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- つっこみ処がありすぎてわけがわからない。一体どこからつっこんで良いのやら……。遅刻の方はわかる。風紀委員の報告などで自分がブラックリスト入りして生徒会や教員の方に報告されているだろうなとは思っていた。だが他の事には納得いかない。何で自分の家庭事情を知っているのだろうか?それに成績の方も普通科目の方はテスト終了後に張り出されるので知っていると云うので納得いくが体育や芸術分野の成績までなぜ知っているのだろう?それらはまだ良い。調べたと言えばまだ納得できる範囲だ(どうやって調べたのか気になるが)。だが最後の『よって勝負ですわ』にどこをどう繋げればそれに至るのかわからない。
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- 「簡単な事ですわ。わたくしを抜いてトップに立ったのですもの。貴方のそれが実力かどうか試してみたいのですわ。来月18日にわたくしの屋敷で実力勝負ですわ。来月の貴方の実力次第でこれからの動きが決まります。拒否権はありませんわ。逃げない様に迎えの車をよこします。覚悟しておいてくださいね。話はそれだけですわ」
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- 「拒否権無しなの!?」
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- 初めに感じていた恐怖もなんのその。疑問に思った事やその強引さに突っ込まざるを得ない。あの氷の女王と呼ばれていた彼女がこんなはっちゃけたわけわからない女性だとは思わなかった。
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- 「はい。それともう一つ。次の生徒会長には貴方を指名致します。こちらも拒否権はありません。それがどうして勝負に繋がるかはとある理由によるただの確認事項ですので気にしないで下さいな?ご自宅の方にはわたくしの方からお断りを入れておきますので家庭の事情でと云う口実はできませんわよ?」
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- 逃げようとした口実を言われ、退路を断たれる。逃げ道を塞がれた。何が悲しくて自分の誕生日に氷の女王に睨まれねばならないのだろう。それに今までの会話で自分の中では学校内での噂の様な氷の女王のイメージは全くなくなってしまった。自分にとっての彼女のイメージは氷の女王ではなく『不思議の国のアリス』に出てくる『ハートの女王』その人だ。自分の思いのままに行動する彼女そっくり。冷たいのではなく、ただ自分の思うままに行動しているだけだ。どうして寂しい思いをしていると感じたのだろう。こんな人だったら寂しいと思うまでもなく自分で行動しているだろう。自分の心の命ずるままに。いや、だからこそ周りに嫌煙され、理解されずに一人でいるのかもしれない。いつの間にか彼女のペースに巻き込まれて敬語で話す事を忘れている。仮にも上級生であり、女王と呼ばれている女性に対して。その事に気付いたキラは慌てて言葉を直そうとしたがそれを彼女自身に止められた。
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- 「別にかまいませんわ。貴方とわたくしの年齢差なんてたった3ヶ月しか違いありませんもの。ただ学年の区切りを挟んでいるだけであって違う月ならば同じ学年ですのよ?わたくしがただ貴方よりも3ヶ月早く生まれただけ。ただそれだけの事ですわ。違いまして?」
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- ただ単に強引に事を進めているだけだと思っていた彼女のその当たり前の様に言い切るその言葉になぜか寂しさを感じる。誰も見た事がないだろう柔らかい表情でそう言う彼女に驚きを感じる。彼女もこういう表情をするのかと。呼び出されて嫌々来たが面白い発見をしたと喜びが混じる。だが状況は切迫している状況に変わりがない。和んでいる場合ではない。
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- 「だけど来月の18日は既に予約が入ってるんだ。だからその日以外に「では17日の放課後、それでしたら都合は大丈夫ですわよね」う、うん」
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- 勢いで頷いてしまった。だがまた用事ができたと逃げれば良いかと思い簡単に考えていた。だが現実はそう甘くなかった。
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- 5月17日放課後。ラクスに言われた事をすっかり忘れて校門から帰ろうとするキラ。だがそこには高級そうな車が止まり、中から出てきた左目に眼帯をした女性と二人の男に囲まれる。
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- 「あんたがキラ・ヤマトだね。ラクス様の命だ。一緒に来てもらうよ。ほらお前たち、行くよ」
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- 「「おう」」
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- 「へ?ちょ、ちょっと……何なんだ〜」
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- キラはわけがわからず車に乗せられ、そのまま拉致される。だがこの事は事件にはならなかった。なぜなら事前にラクスより学校及びキラの自宅に連絡済みと云う根回しがされていた。そう、宣言通りキラには拒否権がなかったのである。
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- 「ちょっとこれはどう云う事?クライン先輩」
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- 「ラクスで構いませんわ。以前も言いましたが学年の境目が間にあるだけで実際は貴方とはたった3ヶ月しか違わないのです。生まれる月が違えば同じ学年でしたのよ?こういう時ぐらいは先輩はやめてほしいですわ」
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- 隣に座る拉致を命じた人物であろうラクスに詰め寄る。その事で眼帯の女性に睨まれたがそんな事には構っていられなかった。
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- 「それ答えになってない。僕が聞いてるのはどうしてこんな事になってるかって事」
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- 「あら、わたくしちゃんと言いましたわ。貴方に拒否権はありませんと。17日の放課後。つまり今日ですわね、貴方の実力を確認すると申し上げましたでしょう?まさかお忘れになっていたのではありませんわよね?」
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- 絶対零度の微笑みで微笑まれひきつる頬をなんとか宥め押し黙る。そう言われてみればそうだった。そしてあれは本気だったのだ。だから今こうして本当に実行に移されたのだと。状況がわかると大人しく座席に座りなおすキラ。諦めたとも云う。こうなったらあの氷の女王の自宅をみてどれほどのお嬢様なのかこの目でしっかりと見極めてやると云う自暴自棄になったともいえる。そしてついた場所は予想通り………いや、予想以上の豪邸と呼べるような場所だった。
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- 「こ………こ?」
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- 唖然として開いた口が塞がらない豪邸が目の前にそびえたっている。一般市民の自宅としてはそれなりに大きいと思っていた自分の家が一体何軒入るのだろうと数えたくなるほど広かった。そんなキラをよそにラクスは慣れた様に屋敷の中に入って行く。それを追う様に入ろうとするキラ。ここではぐれたら迷子になる。家に帰れなくなる。
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- 「それではアリスさん、後はお願いしますね?」
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- 「かしこまりましたお嬢様」
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- だがそんなキラを止めたのは周りにいたメイド達でラクスから引き離された。そして当の彼女からも見送られるようにその行動を黙認する。
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- 「行ってらっしゃい、キラ」
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- 戸惑うキラにラクスは行ってらっしゃいと新妻が夫を送り出すが如く手を振る。いや、手を振っている場合じゃないから。
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- 「ちょっと待ってよ。いったい何なの?これからどうするつもり?」
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- 「行けばわかりますわ。わたくしは先にあちらでお待ちしております」
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- キラの疑問をさらりと流し自分はどんどんとどこかに向かっていく。自分の周りには若いのから歳をとったのまで様々な年齢層のメイドが数人行く手を阻みどこかに連れて行こうとする。いったい全体どう云う事だと疑問しか浮かばない。抵抗してみたが無駄だとわかると体力を削られてダウンする前に諦めようと大人しく彼女たちについて行く。連れて行かれた場所は風呂場。一体どうして風呂場?あっちで待っているってここ?………なわけないか。じゃあ一体どこだ。なんでここに連れてこられた?まさか6限目体育の授業あったから汗臭かったとか?疑問符を浮かべるこっちにお構いなしにメイド達は自分の服を脱がせようとする。流石にそれは御免被る。風呂に入ってこいと言うメイド達にしぶしぶ従い、脱衣所からメイド達を追い出すと服を脱ぎ浴室に入る。浴室は想像していたようなごてごてしたゴージャスなものではなくただ広めでゆったりとした空間の普通のものだった。考えても埒の明かない事は考えない。彼女と一緒にいる場合はそれが必要だと早くも悟り始めた自分が悲しい。風呂から出れば自分の着ていた制服がない。下着もすべてない。貴重品だけがそこに置き去りにされていた。疑い深い訳ではないが一応中身を確認し何もなくなっていない事を確かめる。衣類以外はなくなっていない。さて、これからどうしよう。裸のまま出るわけにはいかない。そう考えて困っているとどこからか執事が箱を持って脱衣場に入ってきた。
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- 「キラ様。こちらをお召しになり私に付いてきてください。制服はお帰りになる時に綻びを直してお返し致します」
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- 呼ばれ慣れない様づけで呼ばれ渡された箱を開ける。ボタンが取れかけていたしちょっと裾がほつれていたから直してくれる為に持って行ったのかと納得して箱を開けた。が、その中にはなぜかタキシードが入っていた。なんで?代わりの服はこれでなくて良いでしょ?普通の服はないの?
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- 「え?なんでタキシード?ってかこれむちゃくちゃ高そうなんですけど」
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- 自分の疑問にノーリアクションの執事。しぶしぶ着替えるが何分着た事がないのでこれであっているか自信がない。不安げに着替える自分にその執事は手を出して着付けをしていく。フムフムとその手際を見ながら納得する自分が悲しい。この年になってまで人に着替えさせてもらうなんて……。着物じゃあるまいし。
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- 「ではキラ様こちらへ。ラクス様がお待ちです」
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- ラクスと聞いて促されるままに行動していた手が止まる。そう言えばこの状況の発端は彼女だ。いったいどう云う事なのか問い詰めねばと執事をせかして案内させる。しかしその意気込みも案内された場所につくまでの間だった。
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- 「何これ……いったいどうなってるの……」
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- もう、いったい何がどう云う事になっているんだかわからない。ついていけない。目の前に広がるのはいったいどこの誰のパーティーかと言うような豪華な会場が広がっていた。まだ人がまばらで準備段階と云うような状況なのが救いだ。客が訪れていないだけであってこれから壮大なパーティーがあるのはよくわかる。一体何事だと唖然として突っ立っているとこのでき事の元凶のラクスがこっちにやってきた。
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- 「馬子にも衣装ですわね。にあってましてよ。では打ち合わせに入りましょうか」
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- キラを上から下まで眺め確認したあとさらりと酷い事を言うラクス。連れてこられた場所の凄さに気圧されているキラを無視して状況説明をすっ飛ばして本題に入ろうとしていた。余裕がなくなっている証拠だ。ラクスがそれほど切羽詰まっているとも云う。自分を無視して本題に入られてもわからない。言論で相手を打ち負かしている学校での氷の女王の様な普段の彼女らしくない状況に戸惑い流されそうになる。だが彼女もそうだが自分も余裕がない。何も分からずこのまま流されても困ると必死で説明を求めた。
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- 「ってちょっと待って。いい加減この状況の説明してよ。一体どうして僕はこんな格好させられてここに来なきゃいけなかったんだよ」
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- 「それを今から説明いたしますわ。わたくしとしてもまさかこんなに早くこれを入れられるとは思っておりませんでしたもの。ですが丁度良かったですわ。貴方の力量も調べられて煩いハエも退治できて一石二鳥と云うものですわ」
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- 力量だとか煩いハエがいったい何のことやらさっぱりわからない。こんな風にこの状況に焦っている様子は学校では絶対にお目にかける事は出来ないだろう。それにもう一つ。普段の学校では絶対に見る事が出来ない綺麗に着飾った彼女に会えたのはラッキーだと思う。皆から氷の女王と恐れられてはいるが密かに男子生徒の人気を独占している彼女のこんな姿を見られたのだ。もっぱら近寄りたいだとか思うような勇気のある者はおらず、対外が敵前逃亡で絶対の聖域、不可触の女神状態。高根の花とはまさにこの事と言わんばかりの状況だった。そんな彼女の美しく着飾った姿と必死に状況説明しながら懇願する表情に見惚れこの状況の理由の説明を自分で聞いておきながら重要な部分を聞き逃した。それがのちに大変な事になるなんて知らずに。
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- 「………と云う訳ですのでキラ、お願いできまして?」
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- 「う、うん」
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- まさか本題の部分を聞いていなかったなんて言えずとりあえず頷く。その様子にパァーと花が咲いたように輝く笑顔を見せられる。氷の微笑しかした事がないと言われていた彼女に向けられた春の日差しの様な笑顔にクラっとする。そんな自分にこのままで良いのかとどこかで囁く声が聞こえた。
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- 「では今日の流れを説明いたしますわね。しっかり覚えておかねば恥をかきますわよ?」
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- そう言われてさっきの挽回と云うようにしっかりと話に耳を傾かる。さっきの説明をほとんど聞いていなかったがどうやら自分はラクスの同伴者をやっていれば良いと言う事だけは何となくわかった。そこで必要最低限知っておかねばならない彼女の情報。ほとんど知らない事ばかりだが彼女のファンならばのどから手が出るほど欲しがる情報だった。自分も少なからず憧れていた節もあった事も手伝い、この美味しい状況に乗り気になっていた。思えばこの時に引き返していれば後にあんな悩みを抱えずに済んだともいえる。これもすべてあの時ラクスの説明を聞かずに了承してしまった自分がいけなかったのだが。
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- こんな大きなパーティーには出席した事のない自分。何とか乗り切れたのはラクスのフォローがあったからだろう。いろいろ意味不明の事を聞かれたが曖昧に笑ってごまかし、それをすかさずラクスがフォローすると云う状況。いったい何の事だかさっぱりわからない。なぜかいろいろな人に声をかけられて挨拶されるがほとんど話題についていけない。ただ学校の事や自分の趣味であるプログラム関係の話題には乗る事が出来た。このパーティーのおかげで自分の知らなかった世界が広がったのは間違いがないし、興味を持っていたプログラムの世界が深まったのは良い経験だと言える。周りに人だかりができていたおかげで豪華な食事が目の前にあると云うのに一口も食べられずにパーティーはお開きになる。どっと疲れてはいたが眠気よりも食い気。お開きになって片づけられていく料理を名残惜しそうに見つめる自分の意地汚さがなんだか惨めだ。
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- 「お疲れ様でした。キラ。なれない事でお疲れでしょう?入浴してお帰りになりますか?それとも「お、お腹すいた」………わかりましたわ。ご用意いたしますのでちょっとお待ちくださいな。キラは何が食べたいですか?」
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- めったに食べられない豪華な食事が食べられると聞き、パーティーで出されていた気になるものをかたっぱしから身振り手振りで説明していく。料理の名前など知らない自分のジェスチャーではよくわからなかったらしく、どこの場所にあった物かを聞くラクス。その場所に出ていた料理を執事に命じて誰もいない部屋に運ばせた。
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- 別室に運ばれたそれらの料理に目を輝かせてパクつくキラを楽しそうに見つめるラクス。そんな彼女の表情に気付かずただ目の前に出された料理の味に舌鼓を打つキラ。食べている時の至福を味わっていた。よほどお腹がすいていたのかいつもの自分の食事量よりは遥かに多めの量をぺろりと平らげた。だが食べ終わり、胃が満足すると今度襲ってくるものはやはり眠気であって疲れた身体は睡眠を欲していた。だがこんなところで寝るわけにはいかない。それ以前にこの窮屈な服を脱ぎたい。そんな自分の欲求を察していたかのようにラクスは自分を風呂場に案内して自分は下がって行った。だがこんな高そうな服をそこらに置くには勇気がいる。迷っていたら自分にこの服を持ってきた人が立っていた。自分の脱いだタキシードをその執事が回収してどこかに消える。ここに来た時からの経験上ほっといてもまた何か代わりの服を持ってくるだろうと特に気にせず風呂を楽しむ。初めに入れられたときはそんな余裕はなかったが今はやる事全て終わらせているので楽しむ余裕があった。なんの入浴剤を使っているのかは知らないが花の良い香りがする。そう云えばラクスからも同じ香りがしていたなとふと思った。まあ、この家のお嬢様なのだから彼女好みの入浴剤を入れているのは当たり前かと納得するキラ。この翌日、自分の誕生日からラクスが卒業するまでの日々が波乱万丈の日の幕開けになる事になるとは露ほども感じていなかった。
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- 風呂から上がり時計を見ればすでに日付をまたぐ時間。家の鍵を持っていない自分は今から帰って玄関を開けてもらうのを躊躇う。朝早い義父に合わせて早く起きる義母はこの時間帯はもう寝入っている。起こすのは忍びない。それにラクスにはすでに家には連絡済みで了承を得ていると聞いている。泊まる可能性もなくはないと。ならばこのままラクスに甘えて泊めてもらおうかと寝間着を借りてそのまま通された部屋でよほど疲れていたのか爆睡していた。
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- 翌朝、いきなり刺し込んだ眩しい光と、自分を呼び起こす声が自分の意識を呼び覚ます。いつもと違う雰囲気に?を飛ばし、起き上がる。一体ここはどこだ?それになぜか無駄に広いベッドを自分一人が使用している状況も解せない。なんでこんな状況になってるんだと思うと、ドアをノックする音が聞こえる。良いと言っていないのに、ワゴンを押して入ってくるメイド。いきなり刺し込んできた光の正体を作ったすでに部屋に入っていたメイドと共に勝手に部屋の整理が着々と進められていく。そしてまだボーっとしている自分をベッドから追い出しいつからいたのか目の前に立っていた執事に任せてベッドメイキングを始める。なんだ?と思うもその執事に連れられ、室内に備え付けられていた洗面所に案内され、洗面を済ませ、昨日持っていかれたままだった制服を着て先ほどの無駄に広いベッドのあった部屋に戻るとそこにはラクスと二人分の朝食が準備されていた。
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- 「はれ?なんでここにクライン先輩が?」
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- 「おはようございます。それと誕生日おめでとうございますキラ。あとラクスで構いませんとあれほど言っておりますのに。学校でもクライン先輩はやめて下さいね?昨日説明したこと覚えておられまして?今年の生徒会長を務める件とわたくしの婚約者を引き受けて下さった件。その件を了承して下さった事まさか忘れたとは言いませんわよね?」
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- 「ありがとうございます。………ってさっきなんて言いました?」
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- 朝の挨拶と共に自分の誕生日の祝いの言葉を素直に受け取る。だがその後に続く違和感ありまくりの言葉に自分の耳を疑う。はて?さっきラクスは何と言っただろう?多分………いや、絶対に自分の聞き間違いだろう。まさかこんな巨大な財閥のお嬢様の婚約者に自分がなれる筈はないのだから。うん、そうだ。聞き間違いに違いない。それにまだよく知らない彼女と婚約だなんて彼女自身もそうだが自分としても受け入れ難いに違いない。うん、絶対そうだ。と自分に言い聞かせるが現実は先ほど彼女が発した言葉は聞き間違いなどではなかった。
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- 「ですから生徒会長の件とわたくしとの婚約の事ですわ。昨日のパーティーからキラはわたくしの婚約者と云う事になっておりますもの。一緒に挨拶回り致しましたでしょう?」
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- 「ここここ婚約者〜!?そ、そんなの聞いて「ないとは言わせませんわ。こうしてバッチリと証拠もございますし」」
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- そこには昨日の自分達のやり取りが監視カメラだろう映像と、ラクス自身が予防策で取っていたであろうレコーダーから自分の昨日のやり取りが聞こえる。昨日パーティー会場で挨拶する人すべてにそれを肯定している自分がいた。ちょっと待て。いったい何でこんな事に。それは自分がラクスの理由の説明を聞いていなかった事が原因しているのは初めに聞こえたレコーダーの部分で分かっていたがなんであの時聞き返さなかったのかと過去の自分が悔やまれる。
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- 『なんでこんなややこしい事を引き受けたんだ僕はっ』
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- レコーダーから聞こえる自分の声に途方に暮れる。せっかくの豪華な朝食も味がわからない。朝早く自宅に荷物を取りに帰るからと用意を済ませ、車に乗る。自宅前に豪華な車が止まったとあって近所で騒ぎになった。その騒ぎに驚いた義母義父が出てくるとそこには困惑顔でその問題の車から出てくる息子がいた。息子が何やら複雑な表情をしているがそんなものお構いなしで昨日クライン家からの連絡が本当だったと理解した。そんな事は知らないキラは助けを求めるように顔を向けたが事の真相を理解した義父から「よくやった。でかした。まさかキラがクラインに婿入りする事になるとは」などとよくわからない褒め言葉を貰い、義母より「しっかりやんなさい。頑張るのよ。初孫は女の子が良いわ」と激励され、泣いて喜ばれた。話が確定された事になっているし大きくなっている。そして確実に引き返せない状況になってしまっていた。この状況から現実逃避したいのと朝から近所で騒がれるのは恥ずかしくて逃げるように自宅に入って今日の教科の準備をする。なんでこんな事にと途方に暮れる自分の目に開きそこなっただろうビニール袋に入ったままの朝刊が映る。義父が外の騒ぎが気になってそれを開ける前に飛び出して行ったのだろう新聞を開くとそこにはデカデカと自分とラクスの昨日のパーティーでの様子の写真が貼られ、記事になっている。大々的に書きたてられている自分とラクスの婚約内定話。これで退路は断たれた。昨夜の出来事だと言うのになぜこんなに早く記事になっているんだ。それだけラクスの家が大物だと云う事なのだろうがなぜ彼女の婚約者が自分でなければならないのだろうと当然の疑問が膨らんできていた。
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- これで平穏な学校生活には戻れない。さようなら平穏な生活。そしてこんにちは異常な生活。自分の17歳の誕生日はそんな憂鬱な事実で始まった。
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- そして案の定普通の生活は送れなくなった。周りにいた友人にはいつの間にあの氷の女王と結婚したんだとか、いつ式を上げるんだとか、式には呼んでくれるんだろうな?とか新聞部からはご丁寧にも今朝の朝刊の切り抜きまで持ってきて事実確認をする始末。なぜか婚約が確定事項として取り上げられておりいまさら否定できない状態になっていた。更には一時期ラクスが怖くて遠巻きにしていた友人たちも何事もないとわかると戻ってきた挙句「俺達親友だろ?ほら、今までの経緯を吐け」とありもしない馴れ初め話を要求される。迷惑極まりない。あれほどラクスが怖くて遠巻きにしていたのに自分との婚約が報道されるや否やその遠巻きにしていた間に何があったんだと聞いてくる。新聞の一面にデカデカと引き延ばされた自分の傍で春の日差しの様に笑う彼女の表情が皆が掌を返したのうな態度をとった原因であることは明らかだった。氷の微笑しか見せた事がなかった彼女が柔らかく笑う。それが衝撃的だったと云う事もあるがキラ自身の傍にいても彼女があの笑顔で笑っているのであれば怖くない。それどころかキラの傍にいれば自分もあの笑顔を拝めるのではと虎視眈々とその機会を狙う。そしてあわよくばお近づきになろうと云う魂胆だ。掌を返したような皆の反応に嫌気がさしてくる。こんなんで友人だと言えるのだろうかと。
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- そして学校が終わり自宅に帰れば自宅前は報道陣の山。家に入るのは一苦労だ。そんな状況が一ヶ月半も続き近所から苦情が出てくるようになった。自分の誕生日以来自宅の自分の部屋のカーテンを開けられない。リビングやその他はマジックミラーの様な加工がしてある為外から覗かれるなんて事はないが自分の部屋がある3階の方まではそんな加工はされていない。そのためカーテンを開けばカメラのフラッシュがたかれプライバシーもあったものではない。その結果、謀らずも自分はラクスの屋敷に引っ越すこととなり周りはその件でさらに囃し立てちっとも静かにならない。この事で自宅周辺は静かになったが自分の周りは更に煩くなった。
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- 「気が休まらない」
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- ぼやいてみてもそれを返してくれるのはすべての元凶のラクス・クライン唯一人。
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- 「皆さん暇人ですわね。いくら叩いても彼らが欲しい美味しい埃なんて出てきませんのに」
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- 目の前で優雅にティーバックの紅茶を啜る生徒会長に苛立ちがよぎる。そもそもの原因は貴女でしょうがと怒鳴りたくなるが彼女の方も必死だったのだろう。何せあのままでは向こうのゴリ押しで36も離れた自分よりも年上の子供のいるどこかの国の貴族のおっさんと高校卒業と同時に結婚させられる状況だったのだから。いい歳をしたおっさんが自分の子供よりも若い少女を見初め、企業間の取引をたてにとり結婚を迫った。いくらクラインが名家だと言っても相手は王族にまで匹敵する貴族。クラインの方もその国の企業全般撤退をたてにとられればどうしようもなくラクスが高校卒業までにそれに似合う相手と婚約または結婚ないしをしなければ逃げ道はなく、途方に暮れていた。クライン家の婿の条件は自分たちに利益をもたらす生産力のある男。家柄生まれは関係がない。そんな時に目に付いたのが全国模試を1位でそれも全問正解の上三年の教科を一年生で取ったと云う自分だったと云う。ラクスは難関で有名なエリート高校であるこの学校内で首席をとっていた。その自分と同等に一つ下の学年で主席をとっておりなおかつ温厚と言われ人気のあったキラに白羽の矢を立て自分の事を調べつくし、性格やその他を吟味した上で頼んだと云う事だ。今では偽装だったはずが引くに引けず数日前に記者会見を開き正式な婚約者と発表された。それは対外的な表向きのことであって現実はそんな甘い雰囲気などない。運命共同体と云う感じの方が強い。ごくたまに甘い雰囲気になる事はあれども互いの想いがどこにあるかわからない状況ではそれ以上は進めず、屋敷内ではほのぼの晩熟カップルだと本当の事を知らない使用人たちにからかわれている。
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- 「すべての元凶はラクスでしょ?どうしてくれるんだよ僕の平穏な日常はっ。それに何?あの果たし状。全っ然意味ないじゃん。なんで果たし状なんだよ」
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- 「あら、初めはわたくしの運命を任せられるほどの人物かどうか確認してからこれを実行する予定でしたのよ?わたくしよりも劣る男にわたくしの総てを預けられませんもの。ですから勝負してわたくしに勝つ事が出来たら頼む予定でしたの。ですから確認の為に勝負を挑んだのですわ。ですが相手方が6月にこちらに来てわたくしとの結婚の日取りの確認をしたいだなどと連絡をしてきまして急がねばならない状況になってしまいましたの。18日でしたらゆっくりと事情をお話しできたのですが予定があるとおっしゃったので17日に。その日は元からパーティーの予定でしたから普通に参加して頂いて貴方の立ち振る舞いを見て決める予定でした。ですが急遽その方の部下が来る予定が入ったので諦めて頂くために急ぐ必要があったのですわ。その事はちゃんと説明いたしましたのに聞かずに了承するキラが悪いのですわ。わたくしもまさかここまで事が大きくなるとは思ってもいませんでしたけど」
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- ラクスとの騒動でうやむやのうちに生徒会長にさせられたキラは誰もいない事を確認してから会長職の引き継ぎと称し二人きりのこの生徒会室でこの騒動の事の真相を聞き出していた。その元凶のラクスは「安いお茶ですわね」とぼやきながら生徒会の備品であるカップに役員の会費で集めたティーバックで紅茶をいれ飲んでいた。安いとぼやくぐらいなら飲まなければ良いのに。それに理由になっているようでなっていないその話に答えになっていないと突っ込んだ。
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- 「あら?ですがバルトフェルトに確認いたしましたら勝負を申し込む時は果たし状を出すものだと。形式は間違っていないはずですが何か違いましたでしょうか?あの時はキラと面識がなかったので手袋を投げつけるのは失礼かと思いまして果たし状にしたのですが間違ったところでもありました?」
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- そう云う問題?なんかちょっと違う。7月の暖かい風が茹だるキラの頭に拍車を立てていた。4月のあの日、彼女に呼び出されるまでの彼女の印象は凛としていて近寄りがたい怖い女性だったのだが実際はしっかりしているにはしているのだがどこか突拍子もない思考の持ち主ではっちゃけた天然ボケ。普段の彼女は冬のイメージではなく春の暖かさを纏う女性だった。周りの人間は彼女のこんな表情や性格を知らない。クライン財閥の令嬢、生徒会長としての氷の女王と言われた時のまま完結無敵の女王だと思っている。天然ボケをかますこんな彼女は知らない。こんな彼女を知っているのは自分だけの特権だと云う思いに優越感と疲れが生じる。
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- 話が婚約云々に脱線しながらだったが大方引き継ぎを済ませれば各部署に出払っていた生徒会委員や各委員会の委員長たちもそれぞれ引き継ぎが終わったらしく生徒会室に戻ってきた。そこで脱線していた話は中断せざるを得なくなったが屋敷に帰ればまた話せると云うものだ。引き継ぎが終われば生徒会の仕事はとりあえずやる事はない。帰る準備をして屋敷に帰るだけだ。
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- 「引き継ぎもだいぶ終わりまたし、今日はここまでにしましょうか」
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- 「そうだね。じゃあみんなお疲れ様。帰ろう、ラクス」
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- そう言って同時に立ちあがり違和感なく一緒に帰る二人。その二人を見守る残された生徒会役員たちは普段見せない前会長の柔らかい表情に見惚れていた。
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- 「あの氷の女王が笑った。おい、夢じゃないよな」
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- 「あ、ああ。笑った。それもいつもの氷の微笑じゃなくて柔らかい笑顔で。すごいな、今度の会長は。あの氷の女王の氷を溶かしてる」
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- 残された者たちは今まででは信じられないこの現象をこののち頻繁に目撃することとなる。そしてその現状を目撃する事になる彼らの証言でキラとラクスの噂はますますヒートアップしていくことになる。
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- そして季節は飛んで冬。問題が勃発した。キラとの婚約が国内外に流れ、それが完全に定着した2月。学校内での仲の良さやほぼ毎日登下校を一緒の車でしている二人の関係は疑う余地はないものとされ、騒ぎがようやく終結し始めていた。更に受験で三年が自由登校となっている事もありやっと静かな学校生活に戻れたと喜んでいた。そんな学校から帰ってきたキラのもとに自由登校の為に屋敷にいたラクスは蒼白な顔をしてキラを出迎える。その隣には困り顔をしたメイド長のアリスが立っていた。
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- 「おかえりなさい。キラ。それよりも大変です。どうしましょう」
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- 「ただいま。いったいどうしたの。何があったか落ちついて説明して。ね?」
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- おろおろとして落ち着かない主の代わりにメイド長のアリスは非常に困ったと云うような表情で事の真相を語り出した。その話にキラは頭を抱えて唸る事になる。
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- 「先ほどクラウド様が出国されたと連絡があったのです。目的はラクスお嬢様に会いに来ると。キラ様との関係が本物かどうかを見極める為に来るとの事ですわ。自分の目で確認しないと諦めきれないとか。それで出国され、明日にはこちらについてしまいます。キラ様、大変申し訳ないのですがしばらくの間お嬢様のお部屋に引っ越して頂きます。これもクライン家、ひいてはクライン財閥の社員の生活を守るためですわ。キラ様も叔父君やご家族を路頭に迷わせたくないのでしたらしっかりラクス様の婚約者としての振る舞いをなさって下さいまし。わたくしとバルトフェルト以外は本当の理由は知らないのです。皆には一緒のお部屋を使うまでにお二人の関係が深まったと、そしてそういう関係を結ぶ段階を旦那様がお認めになったと言ってあります。偽装ではありますが今回お二人が同じ部屋を使う事については旦那様からもお許しが出ておりますのでご心配には及びません。くれぐれも他の使用人たちにはお二人の関係が偽装だと云う事を気取られぬようになさって下さいませ」
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- キラにとってはわけのわからない話だ。いったい何でそのクラウドとか云う人が来ると云うだけでこんな大騒ぎにならなければならないのかと。そう疑問に思っていればそのクラウド自身がラクスに結婚を迫っていた人物だと告げられた。相手は王族に匹敵する貴族。本来ならばどこかの迎賓館に泊まるはず。だが今日はいきなり来る上にこのクラインの屋敷に一泊すると言い始めた。言われた方はたまったものではない。普段通りでは絶対に納得はしないだろう。結婚する人との甘い雰囲気を要求されてもいきなりでは困る。頭を抱えるキラに非常に困った表情を向けるラクス。こっちも困っているのは丸わかりだ。
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- 「クラウド様は人格的にはとても良い方なのですがわたくしが14の時からわたくしを見る目つきが何やら怪しくなって………。わたくしが高校一年の時にいきなり嫁に来いと言われましたの。わたくし、クラウド様の事は人として好きですがわたくしよりも年上のお子様がいらっしゃるあの方のもとに嫁ぎたくはありませんわ。ですから逃げる口実で高校に通いたいからと申しましたら籍を入れてからでも通えるだろうと言われました。それでも何とか説得して高校卒業まで引き延ばす事ができましたの。ですが今のわたくしに婚約者ができたと知ったあの方はそんなもの認めない。自分の目で確かめると仰ってこちらに……。ごめんなさいキラ。迷惑ですわよね」
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- 不安げに見上げるラクスに相当まいっている様子が窺える。彼女の方も変なおっさんに目をつけられた被害者なのだと思うと強く出られない。それに最近はラクスとの会話やこう云う二人でいるときの雰囲気に居心地が良いとまで感じ始めていた。別にラクス自身が嫌なわけではないし、迷惑とは思っていない。むしろ助けてあげたいと思うばかりだ。
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- 「確かに困ったよね。そのクラウド様っていつまでいるの?」
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- 「屋敷に滞在するのは明日明後日だけの予定ですがなんだかんだと理由を作ってべったりと一緒にいる事になりそうですわ。伸びる可能性も考えて3〜4日ぐらいでしょうか?」
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- 不安で仕方ないと云う様子でこちらを見上げるラクスの瞳は揺れていた。こんな情緒不安定の彼女は珍しい。それほど彼女を不安にさせるクラウドと云う男性の存在がクライン家やラクスにとって大きい事を如実に語っていた。
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- 「そんな顔しないで。不安そうな顔してるとバレちゃうよ?僕も何とか頑張るから一緒に頑張ろう?」
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- 「そう………ですわね」
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- ようやく笑顔が戻ってきたラクスに微笑みかけ、自分の荷物の引っ越し作業を始める。とはいえほとんど荷物を持ち込んでいないためにすぐ終わる。自分専用のノートパソコンと服と教科書参考書程度だ。そんなに時間はかからず引っ越しもとい部屋移動は終了した。今まで使っていた部屋からラクス本人の私室に異動となった事で若干違和感がある。女の子らしい部屋に自分もいると云うのは居心地が悪い。そのため隣室が自分の為の部屋で寝室を一緒にしたと云う設定に変更した。
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- 部屋移動が終わり、明日には対面するだろうその人物にどう対処するべきかの話し合いは尽きない。そう考えているうちにそろそろ寝なければ明日の学校に響く時間になる。ラクスはもう寝ましょうとお開きにして入浴を済ませ、寝衣に着替えてくる。そのラクスの姿で今現在進行中の問題事項に戻されたキラは今更ながら同じ寝室を使う事に対して緊張が走る。年頃の男女がかなり広いベッドとはいえ同じベッドで寝ても良いのかと。だからと言ってベッドを別にすれば事情を知らないメイド達に気取られる、もしくは本当は正しいのだがこちらの思惑とは違う誤解される。婚約者と云ってもそれはフリ。実際は違う。そんな関係ではない。だが自分も健全な思春期の男。目の前に誘っているとしか思えない服装で警戒心も何もない女性と一緒に寝ていて果たして理性が持つだろうか?別の意味の心配がよぎる。その心配事を発生させるようなある意味止めを刺すような一言を言ったのは何を隠そうメイド長のアリスである。その忠告に彼女に信頼を寄せるラクスは素直に頷くが自分としては頷きがたいものがある。彼女がラクスに言った事はこうだ。
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- 「ラクス様。噂と云うものは恐ろしくもあり、利用しやすいものです。ですからそのような関係を結んだとメイド達の噂で流してしまえば予防線が張れますわ。その噂を裏付けるように一緒にお休みくださいませ。あとはキラ様がリードして下さいます。夜のお衣装はすでにそちらにご用意しておりますのでそちらにお着替え下さい」
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- まるで娘に諭すように助言するアリスの言葉に素直に頷くラクス。そのラクスを見守り、自分のところに来る彼女はラクスに向けたものとは全く違う意味を持つ表情でラクスに聞こえない様に釘をさす。
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- 「キラ様。いくら一緒に寝るとはいえお嬢様に手をお出しになるような事はなさらないで下さいまし。この状況はあくまで噂を錯覚させるためのもの。状況に乗じてお嬢様に手を出したとすればこのアリス、貴方様に対してどんな粗相をするかわかりませんわ」
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- 意訳:私のお嬢様に手を出したらいったいどうなるかわかっているんだろうね。どうなっても知らないよ。
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- と云う脅しをされていた。その時の状況は身も凍るほど恐ろしいものだった。その事実を知らないラクスは際どい服装に頬を染めてはいるが自分に対して全く危機感がない。ここまで無防備にされ、信頼されていると逆に手を出しにくい。別にそう云う事がしたいから彼女とここにいるわけではないのでこれで良いのだがなんだか複雑だ。絶対に意味が分かっていないだろう。アリスが言っていたそう云う関係と云う言葉の意味を。いくら考えてもこの状況から逃げられるわけではない。このままでは頭がおかしくなってしまうと頭を冷やすと云う目的で寝室から離れた。
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- 入浴を終え出してあると言っていたものに目を向ければそこにはスウェットしかない。出し忘れかとも思ったが自分を脅していたあのアリスが忘れるとは思えない。仕方がない。ま、いいかとこのまま首にバスタオルをかけて寝室に入る。髪を乾かさずに出てきたキラにこれでは風邪をひくとラクスは無理やりキラを鏡台の椅子に座らせ髪を乾かした。
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- 「キラの髪って硬いのかと思っていましたが柔らかいですわね。真っ直ぐで柔らかくて羨ましいですわ。わたくしの髪はどうしてもうねってしまいますもの」
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- ラクスは心底羨ましいと云う表情でキラの髪をいじって遊んでいる。そんなラクスの髪を一房とって見てみると確かにうねってはいるがそれは綺麗なウェーブとしか見えない。しっかり手入れされているその長く美しい桜色の髪をいじる。
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- 「うねってるって僕には綺麗なウェーブにしか見えないんだけど。それにすっごく綺麗」
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- キラに褒められ、赤面するラクス。今まで恐れられ誰も近寄らなかった彼女はこうして直接おせいじ抜きで直に褒められた経験がない。そんな赤面するラクスを可愛いと微笑んで眺める。
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- 「たとえおせいじでも嬉しいですわ。学校ではなぜかびくびくされてそんな事を言って下さる方はいませんでしたもの。それよりキラは明日も学校でしょう?もう寝ませんか?」
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- わざとらしく話題を逸らしてベッドに入っていくラクス。よほど恥ずかしかったのか耳まで赤い。こんな可愛い反応されてはたして数日間一緒に寝て何もせずにいられるだろうかと自分に自信のなくなるキラはある意味拷問と言われるベッドへと潜り込んだ。翌朝二人を起こしに来たメイド達にやっと一線を越えただ越えてないだとかの噂が広まったのは云うまでもない。
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- 翌日学校から帰ってみれば今までにない熱烈な歓迎をするラクス。抱き付いてくる彼女を危なげなく抱きとめ、どうしてと考える暇なくその原因と思わしき外国人がラクスの後ろからのっそりと現れた。おそらくあの外国人が件のクラウド様なのだろう。自分を見る目がきつい。でもここでしくじるわけにはいかず、そのままラクスを抱きしめる。その様子を何考えているのかわからない表情でじっと見つめる多分クラウド様と思わしき人物。内心冷や汗ものだ。それに恥ずかしい。今は恥ずかしがっている場合ではないと気を引き締めるしかない。
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- 「お帰りなさい。キラ。あの方がクラウド様ですわ。お気をつけ下さい。すべては昨日の打ち合わせ通りに」
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- 抱きついたままキラの耳元でそれを告げるラクス。小声だからキラにしか聞こえない。それでこの熱烈歓迎なのだとキラに告げる。キラの方もそれはわかっていたのでラクスを自分から放すと頬にキスをして離れる。
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- 「ただいま、ラクス」
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- 「お帰りなさい。ですがキスは唇の方が良いですわ。人前で照れてらっしゃるのはわかっておりますがいずれは結婚しますのよ?そろそろその初心なところを直して下さいな」
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- 不満げにキラを見据えるラクスは女優そのもの。おたおたとするキラをフォローしやすいようにとクラウドの前で初心で晩熟だと罵る。実際これは演技で気圧されて動揺しかねないキラを隠すラクスなりのフォローだった。それにこうしておけば後々ポカをやらかしてもそれは晩熟で手が出せないからだとごまかせる。実際打ち合わせ通りのセリフだと云うのに耳まで真っ赤になっているキラはこの後に続くセリフを吐かずとも雄弁にその事を表していた。
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- 「なっ……ラ、ラクス。二人きりの時なら良いけどひ、人前でそんな……」
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- やっとのことで予定されていたセリフを吐くキラ。だがそれはずいぶんと動揺しているもので演技だとわかっていても真実味を帯びたものだった。それに満足しているのだが表情はそんなキラに不満げな演技で対応するラクス。設定的には皆の前では晩熟だが二人きりになるとそうではないと云う設定だ。その裏付け工作の為に寝室を一緒にしたのだから。そのためキラは昨夜一睡もできなかった。こんなに積極的な彼女に逆に度肝を抜かれたとも云う。
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- 昨夜ベッドに入ったラクスは着ていたものを脱ぎ自分の身体をシーツで隠すとせっかく綺麗にセットされていたベッドを皺だらけにする。そしておもむろに自分の着ていた服をそこらにばらまいた。そしてキラにも自分と同じような事をやる様に突きつける。ラクスに遅れてベッドに入ったキラは突然のその行動に驚いた。するとラクスは平然とのたまった。アリスはキラに任せておけばよいと言ったが実際に手を出す事は許さないのを分かっていたラクス。だが一緒に寝ていただけではメイド達は誤解してくれても騒ぎにはならない。そこでバルトフェルトに相談したところ如実に再現したら確実に誤解してくれると言ってきた。そこで実行に移すラクスにキラは呆れた溜息を吐くしかできないでいた。その工作と今朝の状況が効果覿面だったらしく実際メイド達の間ではその噂でもちきりだったとか。実のところは手を出すどころかキスさえもできない状況だと云うのに。天然なのか確信犯なのかわからなくなる。ラクスの演技かそれとも本気でやっているのかわからない行動と突き刺さる敵意の視線に生きた心地がしない。なんでこんな事になったかなぁ〜と自分の運命を呪うしかできなかった。
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- そして夜やっとその敵意の視線から逃れられた。だが油断するべからず。ここでは別の心労が待っている。意識を外に向ければ聞き耳を立てているのではないかと疑心暗鬼になるほどにべったりと張り付くクラウド付きの臣下。自分達の行動が逐一クラウドに報告されているのは気が休まらない。視線から逃れられてもこれではどうにもならない。一体どうしろと云うのだろう。バルトフェルトからは視線に気づかなかったふりをして濃いキスの一つでもしていれば少しは納得するのではと云うのに対してアリスからは絶対に手を出すなと云う監視の視線を向けられる。せかすバルトフェルトの視線と手を出すなと睨むアリスの視線に板挟み状態のキラ。更には敵意むき出しの視線を向けられていてはたまったものではない。ほぼプライベートの空間ともいえるリビングのソファーに人にわからない程度に疲れた表情で座るキラ。だがいろんな方面からの視線が気になって完全にはくつろげない。そう云うそぶりを隠してはいるが確実に疲れきっているキラに申し訳ない思いで近づくラクス。不意打ちでキラの唇に触れるだけのキスをして抱きついた。これだとアリスに怒られることはないと踏んでの事だ。キラの耳元で聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でバルトフェルトの言っていた事を実行しようと提案する。それに対して嫌ではないのかと問うキラにそれを気にしている場合ではないと説く。キス以上の事は嫌だがキスは嫌だと思わない。そうでなかったらこんな事しないと言うと真っ赤な顔で照れられた。
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- 意を決したようにキラはラクスを引き離すとラクスの頬に手を当て上向きにし、柔らかい表情でラクスを見つめる。その表情に導かれるままラクスは目を閉じた。触れあう唇。演技でのキスだとは互いにわかっていたがそんな事も忘れてお互いの唇を貪る。互いに初めてだと云うのにもう何度もそう云うようなキスをしてきたかのように自然と絡まり合う。周りもこの状況に気を利かせて出ていこうとする。ようやく離れたキラの唇を手で押さえ、ラクスは潤んだ瞳でキラに告げる。これは演技だが周りにこれ以上干渉されないためにもここでしくじるわけにはいかない。周りに聞こえるようにキラを誘うようなセリフを呟く。
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- 「続きはベッドで致しましょう?ここでは誰かに見られてしまいますわ」
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- 如実にそう云う関係だと匂わせるような文句を吐くラクスに驚くが周りに気を配れば突き刺さる視線。人払いも含めた演技だと悟るとラクスの額にキスをしてそれを了承する。誤解させるにはこのまま普通に寝室に入っても疑問視されそうだ。なのでラクスのまねをする。開き直ったともいうべきか。
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- 「どうなっても知らないよ?誘ったのはラクスの方なんだからね」
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- 「キラはギャップがありすぎですわ。でもそう云うところが好き。愛されていると感じますもの。ですからわたくしをもっと愛して下さいな」
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- 自分の演技に応えたキラに甘えるようにねだり、キラの首に絡みつく。そんなラクスを抱き上げ寝室に入る二人を追いかけようとする者はいない。あの雰囲気ではやる事は一つ。追わずとも結果は知れている。真実を知らぬ者は見事に誤解されその二人を温かく見送ったものもいれば悔しい視線を向けるものもいた。それを知らない部屋に入って行った二人はドアが閉まると同時に脱力した。
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- 「き、緊張した」
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- 「お疲れ様ですキラ。あともう少しの辛抱ですわ。ですがまだ油断はできません。偽装しなくては」
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- そう言うとラクスは自分の服を脱ぎ、ポンポンポンと床に落としながらベッドまで行く。流石に豪快に脱いでいく彼女を直視できないキラは顔を逸らし彼女の分の偽装が完了するまでは耳も目もふさぎうずくまって終わるのを待つ。昨日もこれが頭にちらついて一睡もできなかった。目の前にシーツのみを纏い同じような事を自分にしろと身体を隠すものを渡す彼女の神経を聞きたい。彼女の中で自分はいったいどこの位置にいるのだろう。誰も知らない彼女の笑顔を独り占めしているのは何も自惚れではない。だがこうして平気でそんな格好で自分の前に立っていられると都合の良い男としか見られていないのではないかとも思う。一体自分は彼女の何なのだろうか?わざと服を脱ぎ散らかしながらベッドに行き、彼女が風呂から上がってくるのを待ちあがると入れ替わるように自分も入る。こんな状況下でも彼女の都合に合わせる自分はいったいどうしてなのだろう。不服を言っても良いはずだ。なのになぜか逆らわずに従っている自分がいる。彼女にとっての自分は何だろう。そして自分にとっての彼女は何なのだろう。今更ながらに気付いた当然の疑問ははたして彼女も思っているのだろうか?彼女が好きなのだろう花の香りが充満する湯に浸かりながら考えていた。
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- 偽装効果もあってか翌日学校から帰ってくればクラウドは帰国していた。それを報告するラクスの表情はなぜか困惑気味だったのが印象的だった。
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- あの騒動以来うやむやのうちに部屋はそのままの状況となり、明日には卒業式が控えていた。今はクラウド様云々がないため偽装はしていないが相変わらず一緒のベッドで眠っている。もちろん二人の間には何もない。だが彼が帰国してからは微妙に距離を置くようになってしまった。それはこの異常な生活の終わりを告げているようだった。
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- 「この生活ももう少しで解消ですわね。元はわたくしの事情にキラを巻き込んでしまったようなものですもの。ですがそれなりに楽しかったですわ。わたくしにとってはこの一年間がこの高校生活で一番楽しい一年でした。ありがとう」
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- 突然何を思ったかラクスから一度も触れられる事はなかったこの生活の終わりの時期。あれほど望んでいたこの異常な生活の終わりを彼女の口から聞いたとたんなぜか寂しさと終わって欲しくないと渇望する自分がいる。あんなに普通の生活に戻りたかったのになぜ?
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- 「いきなりどうしてそんな事。今までそんな事言ってなかったじゃないか。どうして」
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- 自分にとっての彼女は天上天下唯我独尊、我儘、自由奔放、天然ではっちゃけたハートの女王。学校ではクールで冷たく、凛として人々を導き支配していた氷の女王の元気がない。どう云う事かと顔を覗きこめば泣いている彼女がいた。彼女が泣いているのは初めて見る。いったい何があったのだろう。それとも卒業するのでナイーブになっているのだろうか?
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- 「明日、卒業したらキラを解放して差し上げます。こんな風に学校生活が名残惜しいと感じる事が出来たのはキラがいたからですわ。ありがとう」
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- それ以外の何かが含まれている様なその言葉に違和感を覚える。何かがおかしい。だけどそれを話すような人ではない事は重々承知済み。聞き出せずに卒業式を迎える事になった。
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- 卒業生総代として答辞を読むラクス。在校生として生徒会長として送辞を読む自分。今から思えばすべての始まりはこの目の前に置いてある送辞と同じ形式の手紙、果たし状が自分の下駄箱に入っていたあの日から始まっていた。あれから一年。異常な生活だと思っていた生活から今日卒業する。それは少し寂しい気持ちだった。でもそれだけではない何かが自分の中で芽生えていた。初めは怖い人だと思っていたラクス。でも実際に会って話してみればはっちゃけた人。見ていて常にハラハラドキドキさせてくれたトラブルメーカーだった。いつからだろう。こんな気持ちになったのは。今ではあの異常な生活から卒業したくないとまで思っている自分がいる。この卒業式が終わった後彼女から告げられる言葉はわかっている。でもその言葉を聞きたくないと思う自分がいる。嫌だ。卒業して欲しくない。したくない。
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- だが時間と云うものは無情で式は終了し、卒業生が会場を出ていく。自分と関わった事で氷の女王と恐れられていた彼女の周りにはあの当時では信じられない人々が群がっていた。雪解けの春。まさにその言葉が今の彼女には相応しい。同じ卒業生や在校生たちに惜しまれ、卒業祝いを受け取る彼女を遠くから見守る。もう彼女の傍にいるのは自分ではない。自分の役目は終わった。氷で閉ざされていた扉を溶かし自分で出てきた氷の女王は雪解けの春の妖精となった。もう氷の女王と畏怖する人間はここにはいない。彼女は氷の呪縛から解き放たれた。そんな彼女を見ていたくなくて彼女と初めて邂逅したあの桜の木の場所に行った。
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- 思い出の桜はまだ咲いていない。蕾は小さく固く閉ざされている。まるで今の自分の様だと苦笑が漏れる。表の校門に咲く桜は三分咲きながら、卒業生たちの卒業を祝う。散った桜の花びらがここまで舞ってきている。その光景が郷愁を誘う。だが不意に薫る慣れ親しんだ花の香りに目を見開いた。ここにいるはずのない桜が目の前に現れた。
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- 「どうしてここに……」
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- キラの質問に答えずにラクスはあの日と同じ言葉をキラに投げかける。
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- 「『貴方がキラ・ヤマト?』」
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- キラの言葉に答えずにラクスはあの日と同じ言葉を投げかける。その表情はあの日とは全く違う物悲しい表情だった。
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- 「答えになってないよ。どうしてここに?」
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- それを無視するかのようにあの日と同じ口調で同じ言葉を紡ぐ。違うのは表情だけ。彼女がいったい何をしたいのかはわからない。だがあの日と同じことを話していると云うのだけは分った。
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- 「『そう言えば本題を書いておりませんでしたわね。わたくしとした事が迂闊でしたわ。キラ・ヤマト。10月にあった難しい事で有名な全国模擬テストを一年生なのに受験生のテストを受けて学校内一位。その上全国でも一位を取った。全問正解と云う偉業を成し遂げて。間違いありませんわね?』」
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- 仕方なく付き合う。でも些細な反撃は良いだろう。
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- 「『確かにそれは僕であってるけど、それがいったい何?』」
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- あの日の自分はラクスに気圧されてしどろもどろに答えていたが今ではすんなりと答えられる。言葉を今の自分の言い方に変えて反撃をする。彼女はいったいどう云う反応をするのだろうか?
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- 「『キラ・ヤマト16歳5月18日生まれ牡牛座のA型。家族構成は叔父叔母貴方の3人家族。訳あってヤマト家に養子入り。本来はヒビキ。双子の妹か姉かがいる。この学校には首席で合格。現在も追随を許さぬ独走状態。運動神経も良好。芸術分野も上の中。だが朝が弱いのかどうかは知りませんが遅刻の常連者。最高連続遅刻記録12回。ですが遅刻はあれども欠席はなし。流石に行事ごとの遅刻はなく、それの欠席もない。遅刻以外は非の打ちどころがない。よって勝負ですわ』」
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- 「『何んで!?』」
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- 「『簡単な事ですわ。わたくしを抜いてトップに立ったのですもの。貴方のそれが実力かどうか試してみたいのですわ。拒否権はありません。覚悟しておいてくださいね。話はそれだけですわ』」
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- 「『拒否権無しなの』」
-
- 「はい。だってわたくしの運命を預ける方が自分よりも劣る男は嫌ですもの。それだけでなくキラ、貴方が貴方だから………貴方が好きだからこれを頼みたいのですわ。わたくしの婚約者役を。これがあの日言わなかったわたくしの本音ですわ」
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- その言葉に目を見開いて驚く。いったいどう云う事だろう。
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- 「キラはご存じではないかもしれませんが貴方は入学前から結構女性に人気がありましたのよ?一年生に可愛い男子生徒が入学してくるとその話題でもちきりでしたもの。それにわたくしは貴方が入学する日よりも前に一度会っておりますの。覚えてはおられないようですけれど入試の時に一度わたくしたちお話ししておりますのよ?皆さんはわたくしを恐れていた様でしたのであの日はこっそりと入試に紛れ込んでおりましたの。一体どんな方々が入ってくるのかと気になりまして。そしたら遅刻ギリギリで滑り込んだ方がいてその方にぶつかってしまいましたの。それが貴方でしたわ」
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- 入試のあの日、朝に弱い自分は目覚ましを10個用意して容易に止められないように工夫して起床時間の2時間前から一つずつ順々に鳴る様にしていた。それでも寝ぼけた自分は何をどうやったのか覚えていないがすべての時計をそれもせっかく仕掛けたスヌーズモードをも切って止めて二度寝をしていた。その様子に呆れた義母がたたき起こしてくれたからあの日は遅刻せずに済んだが受付ギリギリの時間になっていた。その時、試験会場を案内する為の役員だっただろう上級生とぶつかったのは覚えている。それが彼女だったのだろう。そのぶつかった彼女に受け付けの場所と保健室の場所を聞くと急いで受付を済ませその足で会場ではなく保健室に彼女を抱き上げて走って行った覚えがある。
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- 「あれってラクスだったんだ。ぶつかったことしか頭になくってその人がどんな人だったかなんて全然覚えてなかった」
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- 「だと思いましたわ。入試説明会でもわたくしの姿を見た入学希望者たちは固まっていましたのに、入試の時にぶつかった貴方だけは慌てた様子で傷の心配しかしていませんでしたもの。受験をしに来たはずですのにそのぶつかった人物を保健室に運んで慌てて会場に駆けて行くんですもの。どうやら間に合ったようですけど?」
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- クスクス笑いながら言うラクスは懐かしそうに呟く。あの日は受験生が気になっていたと云う事もそうだが、高校生になったとたんに始まったクラウドからの強引な再々の結婚の申し込みに辟易して屋敷にいたくなかったのが実情だった。怖がられている自分に妻になれと言ってくるクラウド。こんな自分を妻にと望んでくれるのは彼ぐらいなのかもしれないと諦めていた時に出会ったのがキラだった。彼は自分を恐れることなく、むしろ受験の方を心配しろと言いたくなるほど、自分の傷の心配をしてくれた。こんな自分を打算なしで心配してくれた人なんて両親以外では久しぶりだったのかもしれない。だから気になった。もう少し学校にいたい。そう思った。だから春にはクラウドの結婚の申し込みに頷く予定だったのを翻し学校に行きたいから結婚したくないと引き延ばさせた。それにこんな親子ほども年の離れた人の後妻に入りたくないと云う感情も大きかった。政治的な事をたてに取られていたため断れないのはわかっていたけれど。それでもせめて学生の間だけは普通の女の子と同じように恋をしたかった。
-
- 「知ってて僕を呼び出したの?」
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- 当然だろう。初めはキラが全国一位になった人だからと強引に巻き込んだ。誰でも良いと思われていた方が気にしないだろうと思ったから。どうやって彼に近づこうと思っていた時、彼が全国一位になった。それをネタに呼び出し、生徒会役員に任命なりなんなりで近づくことは可能だった。だけどその時はまだ彼に近づく心の余裕がなくてもたもたしていたらクラウドから返事の催促が来てしまった。もうその頃はクラウドの結婚からいかに逃げるかしか考えていない自分がいた。それに気づいた両親が一計を授けてくれたのがこの婚約の話。どうやって話を取り次いだのかは知らない。でも自分に婚約者ができ、その人に思われていたのならこの結婚の申し込みは取り下げると話をつけてくれた。
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- だが問題はどうやって彼に近づくかだ。怖がられている自分に頼まれて仕方なく付き合っているのだと思っていた方が彼にとっていいと思った。だから彼への手紙は自分の心への挑戦の意味を込めて彼の下駄箱に『果たし状』を入れた。普通の手紙ではたくさんのラヴレターに紛れてわからなくなるし読んでくれないだろう。自分に残された時間はあと一年。だから目立つものにしたかった。古風な手紙だけではインパクトがない。ならばいっそ挑戦状なのだからとバルトフェルトの言う通り『果たし状』という形でキラに出した。インパクト抜群だったからかちゃんと彼は読んで指定した場所に来てくれた。彼が高校に入って初めての邂逅は少し怯えた様子で自分の様子を伺う彼がいた。やはり彼もその他と同じなのかと思っていたが彼はすぐにその態度を崩した。自分の言いだした無理難題に素の反応で返してくる。他の人間だったら怯えたまま逃げるか頷くかだったのに彼は言い返してきた。その反応が嬉しくて本題を言うのを先延ばしにした。騙すような形になったのは悪いと思う。でもどうしても彼以外には頼みたくなかった。今はまだフリで良い。でもいつか自分を見てくれたらとずっと願っていた。そんな思いも今日で最後。この思いからも卒業し、自分はクラウドのもとに嫁ぐ。旨く騙せたと思っていた。でも、クラウドの目はごまかせなかった。
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- 「はい。ですがもうこの関係も今日でおしまいですわ。わたくしはクラウド様のもとに嫁ぎます。クラウド様にはばれてしまっていたのですわ。わたくしたちの間には何もないと。今日キラがご自宅に帰った後プロポーズをお受けする返事を致します。本当はあの方のもとには嫁ぎたくない。ですがわたくしが嫁がねばクライン財閥に勤める企業の方々が路頭に迷ってしまうのです。わたくしさえ我慢すれば丸く収まるのです。今までわたくしのわがままに付き合って下さってありがとうございました。ファーストキスだけでも初めてが貴方で良かった」
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- 昨晩の涙の理由はこれだったのかと理解する。もう覆せないのだろうか?彼女の結婚は。まだ間に合うと云うのであればもう一度チャンスが欲しい。今度は自分の想いに素直になって。もう一度彼女と始めからやり直したい。
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- 「それってもう覆せないの?まだ今日卒業したばかりでしょう?だってラクスの説明だったら卒業式の今日までに婚約者から思われていたらその結婚はなくなるって言ったよね?まだ今日は終わってないよ?」
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- 「ですが偽装してもすぐに見破られますわ。あの日キラが学校に行った後クラウド様の部屋に連れ込まれ無理やり脱がされました。本当に肉体関係があるのかと。ですが見せかけだけの工作ではだめだったのです。わたくしが男を知らない躯だと知るとそのまま組み敷き、企業間の取引をたてに……。あの時クラウド様宛に電話が鳴らなければわたくしはあのまま無理やりクラウド様のものになっておりました。あの方に目をつけられた時からどの道逃げられぬ運命だったのですわ」
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- 余程怖かったのだろう。涙をぼろぼろと零しながら震えて泣く彼女は痛々しい。そんな彼女をほっとけるほど人でなしではない。それにこの一年、ラクスに振り回され続けた自分だが自分から行動に移す事は一度としてなかった。彼女が卒業した今、もう遠慮はいらない。この偽りの関係からも卒業したと云うのであれば新たな関係を結べば良い。泣きじゃくるラクスの目の涙を吸い取り、驚き見上げる彼女の唇を塞いだ。自分の意思で自分から起こす行動は初めてだ。これが自分からする初めてのキス。自分から起こした初めてのキスは涙の味がした。
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- 「キ………ラ?どう云う「表向きの婚約はまだ解消されていないでしょ?正式発表されている婚約なのに婚約解消はまだ発表していない。だったらまだ僕は君の……ラクスの婚約者でしょ?僕は偽りの関係は破棄する気はあるけど君との婚約は破棄する気はないよ。だから屋敷からも出ていかない。だから……クラウド様との結婚は考えなおして。僕にチャンスを頂戴」キラッ」
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- 先ほどとは違う意味での涙がラクスの頬を伝う。彼と初めて会って2年弱。まさか自分の想いが叶うなんて思わなかった。この学校に入学した時は中学時代と変わらず自分自身ではなく背後のものに畏怖を感じ避けられるとばかり思っていた。難関で名門と謳われたこの学校に入学しても何の彩りもない毎日が過ぎると思っていた。そんな日常に色をつけてくれたのがキラだった。彼と過ごすようになって周りが明るくなった。そして怖がって話しかけるものがいなかったのに普通に話ができるようにまでなった。そして卒業する今、自分との別れを惜しんでくれる人がいる。それが嬉しい。
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- むちゃくちゃな願いだった。でもそれを受け入れてくれる彼がいたからこそ無茶な事が出来た。たった1年間だけだからと望みすぎたのかもしれない。でもその望みの集大成が叶おうとしている。決して手に入らないものだと思っていたものがこうして今ここにある。彼から想われる事はないと諦めて自分を封印していた。一緒に寝ていても手を出そうとしない彼に何度も落ち込んだ。彼の性格から考えても手を出そうとしないのはわかっていたけれどそれでももしかしてと云う期待があったのはこの際言わない。どの道好きでもない男に抱かれるくらいならせめて初めてだけは好きな人と。そう思っていた。でも手を出してくれない彼に落ち込む日々もこれで卒業。今日一日でいろいろなものと別れ、卒業した。この思いをどう表現したらいいかわからない。
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- 「キラ……初めて会ったあの日からずっとキラの事が好きでした。キラはこんなわたくしでも好きだと言って下さいますか?」
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- 「僕はラクスがラクスだから好き。君は氷の女王なんかじゃない。君の氷は僕が溶かすよ。だから諦めないで。閉じ籠らないで。まだ道はある。だから僕を選んで」
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- もうこの手は手放せない。しっかりと繋ぎ止めてくれるこの手の温もりを知った今この想いを諦めて嫁ぐ事は出来ない。両親に言おう。このまま彼と共にいたいと。両親はどんな反応をするだろうか?もしかしたら応援してくれるかもしれない。もう少しあがいてみよう。
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- 「わたくしは貴方と……キラと一緒にいたい」
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- 長い冬は終わりを告げ雪解けの春がきた。今、桜は咲こうと頑張っている。春に咲く花の様にこの胸にあるこの花も育てたい。彼が溶かしてくれると言うのであれば総てを抱きしめて春を迎え入れよう。もう凍てつく心に氷はない。雪解けの水と共に涙として出て行った。あとは自らが咲くだけだ。
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- 深い雪原に埋もれた氷の女王と呼ばれた桜の氷はようやく訪れた春の日差しにより溶けて行った。雪解けの桜が満開に咲くのはもうすぐ………
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- <あとがき>
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- 春は出会いと別れの季節。別れがあれば出会いもある。そして終わりがあるなら新しい始まりもあると云う事でこういう内容に致しました。卒業は今までの終わりでもありますがすべてのスタートラインだと思います。だからいつまでたってもゴールと云うものがないのです。もしあるとすればそれは天寿を全うした時だと私は思います。このような作品ですがお気に召していただければ幸いです。
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- <Another story>
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- 「ねぇ、ミーアはあの学校の『雪解けの桜』の話って知ってる?」
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- 噂好きの双子が自分の家に遊びにやってきた。その噂はずいぶんと前のその学校の生徒会長の話で何でも氷の女王と呼ばれたほどの女性を口説き落とし、その凍てついた氷を溶かした場所に咲いていた桜がそうだと云う。事実かどうかはその当事者しか知らないらしいが。
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- 「知ってる。20年ぐらい前の生徒会長の話でしょ?」
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- 「そうそう、で、その桜がどこにあるか知ってる?その桜の前で告白してキスをしたカップルは幸せになれるってジンクスがあるのよ」
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- 「でねでね、その初めの二人って言うのが美男美女だって話なの。だからこの学校を受験したいの」
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- 何をどう繋げたらその学校に受験する理由になるのだろうか?意味不明の双子の話に疑問符が浮かぶ。
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- 「ね、ルナ、メイリン。なんでそれでその学校受験する事に繋がるの?むちゃくちゃ偏差値高いし倍率高いじゃない。二人の頭じゃ受からないかも」
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- 「「受けるのっ。受かるように努力して良い男をゲットするの」」
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- 結局そっちが目的か。それで珍しく勉強を教えてほしいとここに来たのか。ミーアは溜息を吐いてちっとも進まない受験勉強を再開させた。目標は両親が卒業した高校に首席で合格する事。双子がキャーキャー騒いでいるその学校にだ。
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- 「でも騒いでばかりだったら受からないわよ」
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- 自分の言葉にはっとなってわからないところを聞いてくる。十分合格圏内なんだから勉強しなくても良いじゃないとぶつくさ文句を言ってくる二人にそう言うのなら教えないとそっぽを向く。
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- 「「ごめんミーア様教えてください」」
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- 縋りつく双子に笑いながら教える自分。圏外なのに無謀にも本当に受験した双子は何とか補欠合格し、三人そろってその学校の校門をくぐる事になった。
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- そして迎えた入学式。双子と共に真新しい制服を着て学校に行く。目標は達成し、首席で合格する事が出来た。この学校は両親が出あって結ばれた場所。その思い出深い場所に今自分も立っている。ここにいればもしかしたら自分も両親の様な素敵な出会いがあるかもしれない。
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- 入学式を終え、双子を巻いてやってきた裏門にある桜『雪解けの桜』
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- 両親が出あい結ばれた場所。
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- その場所にある桜はまだ蕾がついたばかりで咲いてない。すでに散ってしまっていた表門の桜と違い静かで頑なに咲く事を拒んでいるように見えた。
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- 「こんなところで何をしている?」
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- まだ開かない桜を眺めていたら不意に後ろから声がした。これが彼との初めての出会い。両親が出あった桜の下で出会った彼との出会いが自分の運命を……生活を変える。
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- 新たな出会いが奏でるプレリュード。これから始まる物語は桜の蕾と共に開き始めた。
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水沢様より春テーマのリクエストにお応えいただきました。
最初から修羅場を予感させる展開にドキドキしましたが、マイペースなラクスに振り回されながらも
思いを受け止めるキラの優しさ。
微妙な偽りの関係を続けるところからいつしか本物の思いへと変わるその遍歴と、
展開も見事です。
このような素敵な小説をありがとうございました。
水沢聖様の『Serenade』はこちら →
Serenade
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