- 「珍しいねえ、溜息を吐くなんて」
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- バルトフェルドが物思いにふけっていたラクスに声を掛けた。
- ラクスはその声にハッとすると、完璧な笑顔を作って振り返る。
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- 「あら、私溜息なんて吐いていましたか?」
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- その笑顔が完璧すぎて逆に怖い。
- それを見たダコスタは顔を引き攣らせ、バルトフェルドも思わず立ち竦む。
- だが実際ラクスは知らず知らず、深い溜息を吐いていた。
- そして本人にその自覚はなくとも原因はハッキリしている。
- いつも隣に居るはずの人物がここ数日いないためである。
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- 「いいかげん、仲直りしたらどうだ」
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- 当人同士の問題だからな、と前置きした上で、バルトフェルドが溜息を吐きつつ進言する。
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- そう彼ら、ラクスとキラは現在喧嘩の真っ最中だ。
- ラクスが感情的になって秘書官解任とキラに宣言すれば、キラもそれを真に受けて、現在技術産業委員会から要請を受けているシステムの開発を進めるため作業場に泊り込み、ここ数日は顔も会わせていない。
- そのためバルトフェルドが、キラがしていたラクスのスケジュール管理とSPの仕事を代替していた。
- その話を聞いて初めはまさかと思っていたバルトフェルドも、キラの名前を出した途端、ラクスに凍りつきそうな目で睨まれて思わず泣きたい気持ちになり、事実だと思い知らされた。
- 今も腫れ物を触るように、警戒しながらしか話をできないのではいいかげんこちらも息が詰まってくる。
- どうせ長くは離れられないほどお互いを想っているのだから、周囲を巻き込まずに、さっさと元の鞘に戻って欲しいというのがバルトフェルドの切なる願いだ。
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- 「キラが許して下さい、と謝ってきたら、許して差し上げますわ」
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- だがラクスは澄ました顔でピシャリと言い放つ。
- 言うまでもなく頑固者同士の喧嘩だ。
- ある程度は予想できた言葉だった。
- その答えにバルトフェルドはやれやれと肩を竦めると、とりあえず次の仕事のための移動を促す。
- これ以上この重い空気の中にいたくないというのが本音だ。
- そんな思いなどつゆ知らず、ラクスはいつもと変わらぬ様子で返事をすると、キビキビと準備を進める。
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- とは言え、キラがもう3日も家にすら戻っていない事実を受け止め、寂しく思い始めているのも事実だ。
- ラクスは、密かに自分が取った行動を後悔していた。
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「lovely envy」
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- キッカケは本当に些細なことだった。
- キラとラクスは休日にいつもの様に仲良く買い物に出かけた。
- 買い物に行ったりどこかに遊びに行く時は、ラクスは必ず帽子を被ったり、変装用の眼鏡をしたりして目立たないようにしている。
- プラントの議長でありアイドルでもある彼女がそのまま出歩けるはずもない。
- 見つかれば辺りはパニックになってしまい、本人も休日どころではなくなる。
- だがキラはそれらの変装をしない。
- キラがあまりそうゆう格好を好まないというのもあるが、素性は一般のプラント市民には知れていないのでその必要がないためだ。
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- しかし今回はそれがいけなかった。
- ラクスが気に入った日用雑貨の商品を手にとって会計をしている間、店の外で一人待っていたキラに、若い女性2人が声を掛けたのである。
- キラは顔立ちは整っていて、ハッキリ言ってモテる。
- ラクスと2人で歩いていれば声を掛けられることはないが、時折擦違う女性の視線を一身に浴びていることを、彼は気が付いていない。
- そしてそんなイケメンが一人で立っていれば、声の一つや二つ掛けられても可笑しくないのだ。
- キラは困ったような笑顔を浮かべて誘いを断っていたのだが、間の悪いことにラクスが丁度その場面を目撃した。
- その瞬間、ラクスの中に苛立ちと怒りが湧いてきた。
- それは声を掛けた女性に対してなのか、それともキラに対してなのかもよくわからないが、とにかくその光景を見ていたくなかった。
- ラクスは少し強い口調でキラの名を呼ぶ。
- その声に気が付いたキラが、ホッとしたような笑みを見せて女性達を振り切ってラクスの元へ駆け寄る。
- キラの行動に多少気持ちは落ち着いたが、残念そうな表情をする女性を見ると、またもやもやとした感情が首をもたげる。
- そしてそれをうまくコントロールできず、キラの一歩前に立つとスタスタと歩き出す。
- キラが慌ててそれを追いかけて声を掛けるが振り返らない。
- その行動を取ってから自分自身の感情に戸惑い、またどんな顔でキラと話をすればわからないため、振り返れないのだ。
-
- キラはそのラクスの態度に最初戸惑ったが、やがて一つの答えに辿り着いて溜息を吐く。
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- 「ラクスだって、オーブに居た時はよく知らない男の人に話し掛けられてたじゃないか」
-
- キラは呆れたように反論する。
- オーブに居た頃、ラクスはよく一人でふらふらと出歩いては、街中でナンパにあっていて、キラがよく引っ張って帰っていた。
- キラは何度も一人で出歩かないようにと言ったのだが、ラクスは聞いたためしがない。
- その度に自分がどれだけ心配し、またやきもきしたか知りもしないで。
- しかしラクスにしてみれば今と状況は違うし、何故かキラの言葉が感情を逆撫でする。
-
- 「そのような古い話を。だいたいその時のキラは、私のことなどあまり見てくださらなかったではありませんか」
-
- キラは唖然として、それから渋い表情にゆっくりと変わる。
- 確かに戦争に疲れ果てて、余裕がなかったことは自覚がある。
- だがその頃も今と変わらずラクスのことを想って、見ていたという自負がある。
- それでも戦争の傷が彼の心に根付いていて、それ故の恐怖から傷つけることを恐れて、時に距離を置いてきたのだ。
- キラからすればラクスを強く想ってのことだというのに。
- さすがのキラもカチンときた。
-
- 「君こそ僕の気持ちを何にもわかってないじゃないか」
-
- ついつい声も荒くなる。
- ラクスもそれに呼応するように反論し、ついに言い合いが始まる。
- しばらく互いに募った不満をぶちまけた後、キラは投げやりに呟く。
-
- 「もういいよ、君とこうゆう話をすると、ほんとうに疲れる」
-
- キラの言葉にラクスの心もひび割れる。
-
- 「わかりました、私もキラの顔を見たくありませんわ。このまま私の仕事に影響が出ては、ひいてはプラント全体に関わります。ですから議長の権限において、キラの秘書官の任を今日限り解任致しますわ」
-
- 珍しく、と言うか絶対に他の人の前ではしない、怒りに眉を吊り上げた表情でキラに言い渡す。
- 一瞬呆然としたキラだが、そこまで言われては彼もそうそう素直に謝ろうとは思えない。
-
- 「それは良かったよ。丁度これからシステム開発のピークを迎えるから、これでそっちに集中できる」
-
- ラクスも僅かに目を見開いてキラを睨みつけると、ぷいとそっぽを向いてスタスタと家路を急ぐ。
- キラも無言でラクスとの距離を一定に保ったまま、その日は家に帰った。
- だが家に帰っても互いの怒りは収まらず、使用人達も戸惑う雰囲気で一言も口を聞かないまま、キラはリビングのソファーで一夜を過ごしたのだった。
-
- 次の日の朝、気が付けばキラは居なかった。
- ラクスは、その時は妙にスッキリした気持ちでいたのだが、それは半日と持たなかった。
- 今は時間が経つにつれて、恋しい思いが募るばかりだった。
-
-
*
-
- 一方のキラも、端末の前でキーボードを相変わらず凄い速さで入力しながら、深い溜息を吐いていた。
-
- 「何だよ、そんなでっかい溜息吐いて。だったら家に帰ればいいだろ」
-
- ディアッカが呆れた様子で突っ込む。
- 言われてハッとした表情で頭を振ると、憮然とした表情でカチャカチャとまたキーボードに指を走らせる。
- その様子にイザークとディアッカは大げさに息を吐く。
-
- イザークとディアッカはたまたま仕事の都合で開発担当者の元を訪ねていた。
- そこでキラを見かけたので、事の真相を問いただそうとイザークが詰め寄った。
- つい先日、何も知らなかったイザークがラクスと話している時にキラの名前を不用意に出して、恐怖体験をしたためだ。
- 殴りかからんばかりの勢いでイザークに迫られ目を白黒させたキラだが、事の状況を溜息を吐きつつ説明して今に至る。
-
- しばらく2人はキラの愚痴なのか惚気なのか区別のつかない話を聞いて宥めていたが、やがてディアッカがしみじみと呟く。
-
- 「こうゆうのは、ちゃっちゃと謝っといた方がいいぜ」
- 「・・・僕は嫌だからね」
-
- キラは少し間を置いて突っぱねる。
-
- 「子供か、貴様らは」
-
- イザークがうんざりした様子で溜息を吐く。
- イザークとてキラの感情が全く理解できないわけではないが、それで被害を被るのはこちらなのだ。
- そして話を聞いている限り、彼らが元に戻るのは時間の問題に思えた。
- それに元々こっちがどうこう口出す問題ではない。
- これ以上付き合いきれるか、と踵を返す。
-
- 「でも、いいかげんなんとかしてくれよ。でなきゃこっちも困るぜ」
-
- ディアッカは言い置いて、慌ててイザークの後を追う。
-
- 2人の気配が消えたのを感じると、キラは手を止めてだらしなく机の上に体を投げ出す。
- 実はキラもディアッカに言われるまでもなく、何とかしたいと思っているのだ。
- ただあれだけ互いに大見栄きっただけに、なかなか素直になれないでいた。
- だがラクスに会いたいという気持ちは、既に限界に達していた。
- キラはふうっとまた大きな溜息を吐いて、システム開発などそっちのけで、ラクスのことばかり考えていた。
-
-
*
-
- その夜、ラクスは一人ベッドの上で枕を抱えて座っていた。
- 明日も朝早い。
- そろそろ寝なければ仕事に差し支えてしまう。
- だがとても眠れそうにない。
- バルトフェルドと話して以降一層寂しさが募り、目を瞑ればキラの笑顔ばかりが瞼の裏に浮かんできて胸が張り裂けそうだ。
- ラクスは枕に顔を埋め、抱える腕にギュッと力を込める。
- そうしなければ涙が零れそうだった。
-
- 「ああ、キラ様。お帰りなさいませ」
-
- 使用人の恭しい言葉が聞こえてくる。
- ラクスはそれを聞いてパッと顔を上げると、ベッドから飛び降りて部屋を飛び出していく。
- 今ラクスはとにかくキラに会いたくて堪らなかった。
-
- 使用人の出迎えを受けたキラは少しバツが悪そうに、硬い表情のまま言葉を濁す。
-
- 「いえ、ちょっと忘れ物を取りに」
-
- そこにラクスが顔を出し、ショックを受けた表情で佇んでいる。
- それに気がついたキラもしまったという表情で立ち竦む。
- そしてそのまま無言で互いをじっと見つめている。
- 使用人も2人の間に漂う微妙な空気に固まってしまうが、何とか気を持ち直すと静かにその場を後にする。
-
- ラクスはキラの言葉に、今度こそ本格的に出て行くのではないかと思い、今にも泣き出しそうになっている。
- このままではキラともう二度と会えないような気がしていた。
- 自分がこれほど独占欲の強い女であることを恥ずかしく思いながら、それでも手放したくないという思いは尚強い。
- こんな辛い思いをするくらいなら、最初から素直に謝っておけばよかったと悔恨と自責の念が込み上げる。
- もう頑なになることも、迷いもなかった。
-
- 「「ゴメンなさい」」
-
- 2人は同時に頭を下げて、次にえっと顔を見合わせる。
- そしてどちらからともなく、くすくすと笑い始める。
- それから2人は歩み寄り、ひしと抱き合う。
-
- 「ゴメンね、つまらないことで意地を張っちゃって」
- 「いいえ、私こそ些細なことで申し訳ありませんでした」
-
- 自分の中で必死に決意を固めたことが、相手と同じだったことに喜びを感じずにはいられなかった。
- それから2人は二度と喧嘩はすまいと心に決める。
- こんなに辛い思いはしたくない、相手にさせたくないと思ったから。
-
- 「ところで、忘れ物って何ですか?」
-
- 今日は夜も遅いのでそのまま寝ようということになり、ベッドに潜りこみながらラクスは尋ねる。
- 忘れ物ならそれくらいは明日のために準備しておいて方がいいのではと単純に思ったからだ。
- だが言われてキラが真っ赤な顔をする。
- 忘れ物というか、彼の指し示すそれはそういったものではない。
- 彼は仲直りするつもりで家に戻ってきていた。
- しばし思案した末、そっとラクスの耳元で囁く。
-
- 「・・・君の温もり」
-
- それを聞いてラクスも少しだけ怒ったような顔を真っ赤にしてキラにしがみ付き、だがこの上なく幸せな気持ちを抱いたまま眠りについた。
- キラもラクスを抱く腕に力を込めて、同時に意識を手放す。
- 互いの温もりを感じて、幸せな夢を見ながら。
-
- 次の日から、以前にも増して仲睦まじく一緒にいる2人の姿に、周囲の人々は少しばかり仲直りを勧めたことを後悔したとかしなかったとか・・・。
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