- キラは一人庭に佇んでいた。
- それが晴れた日の昼間であれば特に疑問に思う者はなかったであろう。
- だが今は真夜中、そして雨。
- 天候も完全制御されているプラントでは予報が常に伝えられ、今の時間が雨であることは誰もが前もって知っていたはずである。
- にも関わらず、こんな夜中に傘も差さずにずぶ濡れになっているのは、ハッキリ言って正気の沙汰とは思えない。
- 頭の片隅ではそんなことをボンヤリと考えながら、それでもキラはじっとその雨にまるで一体となって溶けていくのを望んでいるかのように、時折光を反射して煌く雫を全身に浴びていた。
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- もう大丈夫だと思ってたんだけどな。
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- 実際先の戦争の真っ只中に居る時は、雨の降る夜に遭遇しなかったということもあるが、こんなことはなかった。
- キラは苦笑しながら目を閉じて天を仰ぐ。
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- まだマルキオ邸で過ごしていた頃、雨の降る夜は苦手だった。
- 戦争の傷に苛まされたキラがようやく普通に日々を過ごせるようになってからも、悪夢に魘されることはあった。
- それは決まって雨が降っている夜だった。
- 戦争でたくさんの人を殺した、守れなかった。
- 静かな闇の中で響く雨音がそうさせるのか、月明かりの届かない深淵の闇がそう思わせるのかは分からないが、キラの心の奥底に眠っている罪悪感、それが雨夜に揺り起こされ、心を蝕んでいく。
- それにキラはいつも嫌な汗をかいて、荒い呼吸をしながら目を覚ます。
- だが体に纏わりつくように全身を覆う、言葉にできない不快感は眠りから覚めても消えることはなかった。
- だからそんな感触を洗い流したくて、いつも外に出て雨に打たれていた。
- それでは不快感を拭えないことを知りながら、周囲の心配も構わずに、全てに許しを請うように。
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- それは戦争が終わった今でも、まだキラの心に深く根付いていた。
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「Rain night」
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- まだ真夜中だというのにラクスはふと目を覚ました。
- うまく言葉にできないが、胸騒ぎのようなものを覚えたからだ。
- 特に仕事の上で心配の種となるものは今のところないはずだが、まどろみの中で不安だけは確実に胸の中に膨らんでいく。
- ラクスはその不安を払拭しようと、傍らの温もりを求めて手を伸ばす。
- 小さな不安や心の痛みはその温もりに触れれば、驚くほど簡単に消えていくことを、頭ではなく本能的に覚えていた。
- だが横で同じく眠っているはずの求めたものがないことに気が付いて、意識は覚醒していく。
- 少し残念な、寂しいような感情を抱きながら、水でも飲みに行ったのでしょうか、と独りごちて体を起こし、窓の方へ顔を向ける。
- そこには降りつける雨雫が滝の様に窓ガラスを流れ落ちていた。
- それを見たラクスは、はっとした表情で隣にその人がいない理由に思い当たる。
- そしてベッドから飛び起きると急いでキラの姿を探す。
- はたしてラクスの予想通り、キラは雨の中傘も差さずに庭で立ち尽くしていた。
- 真っ暗な中にぼうっと浮かぶ弱々しい光の様に。
- その姿がとても儚げで、今にも消えてしまいそうで、ラクスは激しい恐怖に駆られた。
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- 「キラ!」
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- ラクスは悲鳴の様に名を呼び、自分も濡れるのも構わず庭に飛び出して駆け寄る。
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- 名を呼ぶ声が聞こえたキラはゆっくりとその方向へ振り返り、驚いた様子もなくただ無表情に、虚ろな瞳で呼んだその人を見つめる。
- ラクスは少しだけその表情に怯んで、数歩手前で立ち止まる。
- 目の前の人物は、そっくりな形をした自分の知る大切な人とは違う人間ではない、のではという戸惑いと恐れ。
- だがこのままでは風邪をひいてしまうと、その恐怖を振り払いキラの手を掴むと、ラクスはとにかく急いで家の中へと引き込む。
- キラはただされるがまま明るい家の中へと入るが、まだ不快感も不安も消えない。
- 濡れて体に張り付く服の感触がそれを増幅している。
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- ラクスは自分の体をさっと拭いて着替えると、まだぼーっと佇んでいるキラのびしょ濡れの服を脱がせてタオルを頭から被せる。
- そして幼い子供にそうするように、頭を体を丁寧に拭いていく。
- 拭きながら冷たくなった指先などに触れると、ラクスはとても胸が痛くなった。
- それを堪えて全て拭き終わると、タオルをキラの肩に掛けて、そっと両手をすくい上げるように手に取る。
- そして今にも泣き出しそうな潤んだ瞳でキラの目を見つめる。
- キラの中へ飛び込みたいと訴えかけるように。
- そんなラクスの表情にキラの心はようやく動き出す。
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- 「心配かけて、ゴメンね」
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- キラは申し訳なさそうに、けれども落ち着いた様子でポツリと零す。
- まだ完全ではないが、ようやくいつものキラが戻ってきたことに、ラクスは心の底から安堵の息を漏らす。
- そして冷え切った体を包み込むように抱きしめると、自分の胸の内を明かす。
- 安堵とほんの少しの怒りを含めて。
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- 「本当に心配しましたわ。貴方がこのまま消えてしまいそうで、私は恐怖でどうにかなりそうでした」
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- 名前を呼ばれた時、ラクスが焦ったような声を出したのは何故だろうとぼんやりと思ったキラは、その言葉に納得する。
- もし自分が反対の立場だったら、同じように思っただろうから。
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- 「大丈夫、僕はどこにも行かないよ。ただ雨に打たれたかっただけだから」
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- 纏わり吐いた感覚を洗い流したかったからという言葉は飲み込んで、苦笑を浮かべて答える。
- キラが何か言葉を飲み込んだことにラクスは気が付いたが、敢えて何も言わずそれを聞き入れる。
- それからしばし訪れる沈黙の中でキラの鼓動を甘受するように感じた後、ラクスは責めるでも無く、静かに問う。
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- 「また、夢を見ましたか」
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- ラクスの問いかけにキラはすっと笑顔を引っ込めて沈黙する。
- それだけでどんなにキラが隠そうとも、ラクスには充分すぎるほど分かった。
- ああやはりと少しだけ悲しそうな表情で俯くと、キラがまた悪夢に魘されないことを願う。
- そのために自分はどんなことでもしたいと、純粋に思った。
- 思ったときには心の声を言葉にしていた。
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- 「もし、また悪夢に魘されることがあれば、その時は」
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- しかしそこでラクスは僅かに次の言葉を躊躇う。
- それを言うのは少し恥ずかしい気がして。
- だが愛する人のために自分がしたいと思うことだから、恥ずかしがっていてはいけないと、意を決してキラを見上げる。
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- 「その時は私を思い切り抱きしめてくださいな」
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- きっと夢まで私が助けに参りますわ、と頬を紅に染めながらいつもキラをドキッとさせる笑顔で背中に回した手に力を込める。
- そしてその顔をキラの胸に擦り付けるように擦り寄り、キラの心に嘆願する。
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- 「ですから一人で雨に打たれることは、もうこれきりにしてください」
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- キラはその胸の脈拍が速くなるのを感じながら、急速に体が温かくなってきた気がした。
- まだ外は暗く雨の音は響いてくるけれども、もう不快感も恐怖も無い。
- 愛しい人の温もりが体の隅々に行き渡ったように、それに勝る安堵がキラの心を満たしていく。
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- ああこれできっと次の夜からは大丈夫。
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- キラはラクスの背中に手を回して、もう大丈夫と耳元で囁く。
- それは確信と約束。
- 自分はもう一人ぼっちではないことと、この温もりを手放さないということの。
- そしてキラは雨音も忘れて、ラクスが最も好きな笑顔を、自分を包み込むその青い瞳に降らせた。
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