- 灰色にくぐもった空から、白いものがゆらゆらと舞い降りてきた。
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- 地球の天気というものは、いつ見ても不思議だと思う。
- プラントのように管理されたものではなく、いつ雨が降るのか晴れるのか予想通りにはいかなくて。
- 時には人の命までも奪うような災害をもたらすことがある。
- それはプラントでの暮らしに慣れた者にとっては、不便なように思われる。
- しかし人工的に作り出したそれより、時に自然が織り成す光景が、その刻々と移り変わる様が、ずっと綺麗に鮮やかに見える。
- これが自然の神秘というものだろうか。
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- そんなことを考えながら、目の前に落ちてきたそれを思わず手で受け止める。
- それは冷たい感触を鮮明に告げるが、白い結晶は手の中ですぐに水となって消えてしまった。
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「Memory of snow」
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- ラクスはプラント最高評議会議長として、デストロイ虐殺の地となった北欧地方を訪れていた。
- 目的は、現状をこの目で知り、この地域への復興支援の計画をしっかりと立てるためだ。
- そのために、ラクスは精力的に被災地を巡り歩いた。
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- あの惨劇から既に1年が過ぎようとしている。
- 人々も徐々に元の暮らしを取り戻しつつはある。
- とは言え、周囲には瓦礫の山、地面に開いた穴、焼け焦げた家屋の壁らしきものなど、今もくっきりと悲劇の爪痕が残っている。
- 予想以上に復興への道は険しいようだ。
- それを目の当たりにして、形の良い眉を顰めずにはいられない。
- それでもそこから目を逸らさずに、現地に駐留する大使に説明を受けながら、未だ瓦礫の山に埋もれた街中を歩いて回る。
- そして時に、そこで暮らす人達の話を聞きながら、その人達が求めるものは何なのか、そのために自分が出来ることは何かを必死に考え、頭で想像するだけでは見えてこなかったことも、今はしっかりと見える。
- 自分の目で見て正解でしたわ、と独りごちながら、惨状を目に焼き付けるようにこの光景をしっかりと見据えた。
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- そうして一日かけて被災地を巡ったラクスは、さすがに疲労を感じながら滞在するホテルへと戻ってきた。
- 辺りは既に暗くなっており、街灯の灯りが少し寂しく足元を照らしているだけだ。
- それにも被害の大きさを感じながら、ラクスは小さく溜息を吐く。
- また明日も大使館での打ち合わせやら仕事は山積しているので、今日は早く部屋に戻って休みたいと思っていた。
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- そんなことを考えながら、ホテルのエントランスホールへの扉を開けようとしたとき、ちらちらと白いものが舞い降りてきた。
- それは雪だ。
- こうして自然の雪を見るのは本当に久し振りだ。
- 確かに視察の間中も吐く息が白く染まるほど寒かったが、地球だから当たり前なのだが、雪が降ることはスケジュールにも、気象予報にも入っていなかったので、ラクスは疲労も忘れて思わず足を止め、空を仰ぎ見た。
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- 「寒くない?」
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- 護衛として同行しているのは、ザフト軍の特殊部隊隊長にして、彼女の恋人でもあるキラ。
- 視察している間も、住民達と話をしている間も、彼はずっと傍らで彼女のことを見守っていた。
- それこそが彼に、彼だけに与えられた使命であり、彼の選んだ道だ。
- そんな彼は突然降ってきた雪に、当然の如くラクスの体調を気遣った。
- 彼女の疲労を誰よりも理解し、そして心配しているのだから。
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- 「ええ、大丈夫ですわ」
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- 気温が低いのは朝視察に出た時から分かっていたことなので、しっかりと防寒着は着込んでいる。
- そのためそれほど寒いとは感じていない。
- それでもラクスは、キラの言葉に思わず嬉しくなる。
- ラクスもまた、そんな彼が傍にいて守ってくれるからこそ、議長としての重責を果たすことができるのだと、彼の存在を頼もしく、そして愛おしく思うのだ。
- キラの気遣いにほんのり心を上気させたラクスは、にこやかに答えた。
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- かと思うとそっと手を差し出し、雪を掌で受け止める。
- 受け止めたその小さな白い点は、手に緩やかに滑り落ちたかと思うと、小さな水滴となりラクスの手に冷たい感触だけを残す。
- それはとても儚いことのように思えて、だが羨ましいとも思えた。
- そのまま見惚れるように、水滴となった雪の後を見つめる。
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- 掌で溶けた雪を、何も言わずじっと見つめるラクスに、キラは再び心配そうに名を呼ぶ。
- 呼びかけにラクスは掌を見つめたまま、静かに言葉を紡ぐ。
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- 「いえ、悲しみもこの雪の様に消えれば、皆さんの心の傷も少しは癒えるでしょうか、と思いまして」
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- 言いながら、少し切なげな瞳で微笑む。
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- まだ瓦礫の山が残るこの街も雪に埋もれて、それが溶け出すとそれまでのことが夢だったかのように、街に、そして人の心に春が来ればそれはどんなに素敵なことだろう。
- そうやってここで暮らす人達の心の傷が、簡単に癒せれば良いのに、と思った。
- だがどれだけ街並みが綺麗に整備されようとも、刻まれた心の傷は消えることは無い。
- 失われた命を戻すことはできないのだ。
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- 「もしそうだったら、それはそれでいいのかも知れないね」
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- ラクスの言葉を聞いて、キラも倣うように手を差し出して雪を受け止めると、それが溶ける様子をじっと見つめながら、僅かに表情に影を落として薄く微笑む。
- それはラクスにだけ分かるほどの微妙な変化で。
- そのことに、ラクスは己の発言が誤りだったと後悔する。
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- ラクスももちろん、戦争でたくさんの命が失われたことには胸を痛め、心は大きく傷ついてきた。
- それでもキラの比ではないと思っている。
- 実際にMSに乗って、戦場で相手を屠ったことのある彼に比べれば。
- 心優しい彼は、銃の引金を引く度に、心の中で悲鳴を上げていた。
- そんな彼の心の傷も、こうして雪の様に優しく降り積もっては消えるものであれば、どんなに良いだろと思ったことは一度や二度ではない。
- しかし現実には人の記憶というものは、そう簡単には消えはしない。
- 今も尚、彼は戦場で引金を引いたことに、深い罪の意識と悲しみを湛えているのだ。
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- 辛い過去を無為に思い出させてしまったことに、ラクスはこの雪のように、ひどく自分が冷たい人間のように思えた。
- 傷ついた表情で、消え入りそうな声でゴメンナサイと俯く。
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- 「でも、過去は消えないし、消しちゃいけないんじゃないかな」
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- キラはそんなラクスの思いを否定するように、静かに言葉を紡ぐ。
- それはラクスにとっても予想外の言葉だった。
- ラクスはハッと顔を上げて、何故ですか、と問い返す。
- キラはまだじっと自分の掌を見つめたまま、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
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- 「うん、悲しいこととかあると辛いし、どうしたらいいんだろうって、とても苦しくなるけど」
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- キラは言いながら過去のことをまた思い返し、少し言葉に詰まる。
- やはり今でもそのことを思い出すと胸が痛む、苦しくなる。
- 過去は取り戻せないと知ってながら、あの時あれがなければ、とどうしても思ってしまう。
- 心がネガティブに染まっていく。
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- ラクスがそっと、そんなキラの手を取り、続きを促すでもなく、ただ次の言葉を待っている。
- 言いたくなければ言わなくても良い、でも言ってくれればしっかり聞く、それは昔から変わらないキラへの思いやりだ。
- そんな変わらないラクスの優しさに、キラはにっこりと笑みを浮かべると、恐怖と痛みを乗り越えて、次の言葉を零す。
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- 「それを乗り越えてきたから、今の僕達があるんだと思う」
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- 確かにたくさん心に傷を負って、失ったものは数知れない。
- それでも全てを失くしたわけではない。
- 戦争の悲劇を知ることができた。
- 平和な世界を築くことがどれほど大変なことかを知ることができた。
- 命がどれだけ大切かを知ることができた。
- それを無駄にしてはいけないと思う。
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- そしてキラにとって何より、ラクスと出会えたことは大きかった。
- あの苦しみの中で、彼女と出会えていなければ、きっと自分は生きてはいなかっただろう。
- 彼女が傍にいてくれたことで、本当に大切なものは何かに、気付くことができたから。
- だから全ての過去を否定したくはない。
- 亡くなった人達のためにも、それから逃げずに、同じ過ちを繰り返さないように。
- そして今ある大切な、愛おしいものを手放さないように。
- それらがあるから、今こうして頑張っていけるのだ。
- キラはそのことをとても素晴らしいことだと思っている。
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- 「だから過去のことは苦しくもあるけど、逃げたり目を背けたりしたくない」
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- ラクスはキラの言葉を聞きながら、だんだんと大地を白く覆い始めた雪をもう一度掌で受け止めて、今度はすぐには消えなかったそれをゆっくりと握り締める。
- そしてその感触を噛み締めるように感じながら、キラの言うとおりですわと、新たな決意を胸に秘めて、人の記憶は雪のようでなくて良かった、とラクスは考えを改めて、ホテルへと入るように誘うキラの手を優雅に取った。
- その手から伝わる温もりは、少し凍えた手をいとも簡単に温め、ラクスはにっこりと恋人の笑顔に応えて、扉の向こうへと消えていった。
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- 2人が居なくなった路地の上に、雪は尚しんしんと降り続いていた。
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