- そこまで話して、ラクスはふうっ、と息を切った。
- そしてすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけ、その冷たさに、形の良い眉を顰める。
- 思いの他話に集中し過ぎたらしい。
- 他の面々のカップの中身が残っているのを確認して、同じ様に冷たくなっているだろうと想像したラクスは、もう一度皆さんの分も入れ直さなければなりませんわね、と独りごちて、ゆっくりとカップを置いた。
- その表情にも動作にも、特別に愁いている、悲しんでいる様子は見られない。
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- 片や話を聞いていた3人はと言うと、予想だにしない重い話に、神妙な面持ちで固まっていた。
- まさかキラの過去に、そのような衝撃の事実があったとは、思ってもみなかった。
- 元々彼女らは、最強のMSとそのパイロットとして語られる、偶像としてのキラのことしか知らなかった。
- その圧倒的な強さから、やれ大柄の男だとか、老人と呼べるほどのベテランパイロットだとか、まことしやかに囁かれたものだ。
- しかし人の噂は背ひれ尾ひれが付くとはまさにこのことで、実際にその人に会ってみて、本当にこの人が、と思うほど、穏やかで優しそうな印象を与える、顔立ちの整った好青年だったことにも驚いていた。
- 未だにMSパイロットだということも信じ難いほどだ。
- むしろより一層、MSのパイロットという職が、いや軍人と言う肩書きが似合わない人物だと思い直す。
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- ただ戦争でそれだけ心が傷ついたという事実は、素直に受け入れられた。
- 自分達もそれを目の当たりにし、また体験してきたことだから。
- 優しい人柄のキラであれば、相当に胸を痛めたに違いないことは想像に難くない。
- そんな人物が、銃を手にして戦わなければならなかった戦争の悲惨さを改めて認識する。
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- 「それで、ラクス様とキラさんは、その後どうされたのですか?」
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- シホが恐る恐る尋ねる。
- 現在2人は目の前でアツアツぶりを見せ付けているから、何か状況が好転する機会はあったのだろうが、今の話を聞く限りそれは全く思い浮かばない。
- あまりにも今とギャップがあり過ぎる。
- 何をどうしたらあんなに仲睦まじくなれるのか、甚だ疑問だ。
- その変わりように、興味があるというよりは、それは願望へと変わっていた。
- ただ事実を知るラクス当人だけは、淡々と当時の状況を述べる。
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- 「はい、私がお慕いする方の元へキラを連れて行ったのです」
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- そうして、ここからキラの長く辛い日々、そしてラクスの苦しく切なかった思いが少しずつ解き明かされていく。
- それを語るラクスの眼差しは愛おしそうに、それでいて切なげに揺れて、プラントの空を見つめていた。
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STORY-02 「残された傷」
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- 戦いが終わって数週間ほど経ち、共に戦いに身を投じて下さった皆様が今後の身の振り方を決め、1人また1人と各々が見つけた新しい場所へと去って行きました。
- 私はそれを全て見送ってから、キラを連れてマルキオ様の元を頼ることにしました。
- 地球には他に知り合いも無く、私を受け入れてくれるところなどありません。
- 戦争が終わったと言いましても、まだまだナチュラルとコーディネータの間に出来た溝は、そう簡単には埋まらないほど深かったのです。
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- かと言って、キラをプラントに連れてなど行けませんでした。
- キラはあのフリーダムのパイロットです。
- その前にもコーディネータでありながら地球軍に所属して、最強の敵と評されたストライクに乗り、ザフトの方々と死闘を演じています。
- そんなキラがプラントに行けば、評議会や市民の方々からどのような仕打ちを受けるか、反逆者としてプラントから追われる身となった私以上に分かりませんでした。
- ひどい仕打ちを受ければ、ますますキラは傷つき、自分の殻に閉じこもってしまうことは目に見えています。
- これ以上、キラが余計に傷つくようなことは、どうしても私には選択できませんでした。
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- 同時に私がプラントに戻らないことによる影響を、少なからずは感じていました。
- 父が最高評議会議長だったということもあり、私の周りには常に羨望と憧れ、また何不自由ない暮らしがありました。
- キラと共にマルキオ様の所に身を寄せるのことは、地位や名誉と言ったそれらを、全て失うことになるということです。
- 私は自分の持つ肩書きの意味を知っていましたし、それが政略的なプロパガンダに使われていたことも理解しています。
- それが平和のために役立つのならばと、敢えてその役目を担っていた部分もあります。
- それもあり、プラント中の人々誰もが私のことをそのような目で見ていました。
- 婚約者であったアスランでもです。
- ですがそんな中で、キラだけが私を私として見てくださいました。
- プラントの歌姫でも、クライン議長の娘としてでもなく、ただの1人の女の子、ラクスとして。
- 今思えば、初めてお会いしたその時から私はキラに心惹かれていました。
- それは傷だらけで私の元に運ばれてきた時、確信へと変わりました。
- この強くて優しく、果てしない悲しみを背負った方と、共に未来を築きたいと。
- 例えキラの中にある私に対するものが、仲間であるということ以上の感情が無いのだとしても、キラの為に地位や名誉を全て捨てることに、一切の抵抗はありませんでした。
- 滑稽だと思われようとも、私はプラントよりも、ただ1人の男性を取ったのです。
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- プラントに戻らない決意をした私は、カガリさんのご協力も得て、私とキラ、それに私達を心配して付き添ってくださった、バルトフェルド隊長、マリューさんと共に、マルキオ様のところで住まわせていただくことになりました。
- マルキオ様も快く迎え入れてくださり、私達はようやく仮初めの安穏を手に入れたのです。
-
- その頃のキラは、話し掛けても表情は虚ろで反応せず、全ての意志を封じ込めたかのように、誰かに促され手を借りなければ何も行動できない、いいえ、しない状態でした。
- その表情には生きることそのものを放棄してしまったような、そんな絶望の色しか映っていませんでした。
- ヤキンドゥーエでの戦いで何があったのか、まだ語ってはくれません。
- いえ全てを語っていただかなくても良かったのです。
- ただ私は根気よくキラに話し掛け、どれだけ時間が掛かろうとも、少しずつ心の傷が癒える手助けをしていこうと心に決めていました。
- ずっとキラの支えとなり、寄り添って生きていくのだと。
- キラが生きていけるのならば、それだけで良かったのです。
-
- しかし実際には、ずっとキラに寄り添う時間はありませんでした。
- 何故なら、マルキオ様の所にはたくさんの子供達が暮らしていたのです。
- そこで暮らすということは、その子供達の面倒も見なければならなかったからです。
-
- それまでにマルキオ様からお話には伺っていましたが、実際に子供達に会うのは初めてです。
- 皆戦争で親や兄弟を無くした子供達ばかり、という説明に、キラは無表情のままでしたが、肩をピクリと震わせました。
- きっと、その原因が自分にあったのではないだろうかと自分を責めていたのでしょう。
- 私はそれを見て、子供達と一緒に暮らすことで、キラがさらに自分の殻に閉じこもってしまうのではないかと心配し、キラのためには子供達とは離れて暮らす方が良いのではないかとも思い悩み、マルキオ様に相談しました。
- すると、このような答えが返ってきました。
-
- 「子供達も心に大きな傷を抱えています。それは大変に悲しいことです。けれども彼らは純粋で、明るい元気な心を失っていません。それは周囲をも明るく照らしてくれます。そんな子供達の明るさは、キラ君にとっても貴方にとっても、きっと良い方向に向かうはずです。貴方々はSEEDを持つ者ですから」
-
- まだ一抹の不安はありましたが、マルキオ様の仰られることはよく分かりました。
- 確かに子供達の無邪気な笑顔は、見ていて心が温かくなるような、そんな気持ちになります。
- それが少しずつでも、頑ななキラの心を解きほぐしてくれるかも知れない。
- そんな一縷の望みに縋るような思いで、私は決心致しました。
-
- そうして私達は共に生活を始めました。
- そこは俗世から離れた、争いとは遠い静かな暮らしでした。
- これまで私はあまりしたことはありませんでしたが、お料理やお洗濯などの家事を手伝いながら、子供達の相手をして、その合間に根気よくキラに話し掛けて、日々を過ごしました。
- それは大変でしたけれども、私なりに充実した時間でもありました。
-
- しばらくすると、子供達はすぐに私に懐いてくれました。
- 何くれと構って欲しいと家事の合間に私のスカートの裾を引っ張ったり、手を引いたりと、入れ代わり立ち代わり子供達は私のところへやってきます。
- そうして向けてくれる無邪気な笑顔が、家事の疲れを癒してくれます。
- 私も子供達と過ごす時間は楽しく、大好きなものでした。
- ですがキラと話をする時は、嬉しい反面、辛いのも事実でした。
-
- 大分マルキオ様のところでの暮らしになれた頃、1人の子供が尋ねてきました。
-
- 「どうしてキラお兄ちゃんは、いつもボーっ海をながめてるの?」
-
- 私は洗濯物を干していた手を休め、どうしてでしょうかねえ、と子供の頭を撫でながら、キラの方に視線を向けました。
- そこには相変わらず、キラが虚ろな表情で座っていました。
-
- キラは昼間は、ずっとテラスに置いた椅子に座り、何をするでもなく、ただ海の方をぼんやり眺めていました。
- いえ、正確にはその焦点は定まっておらず、ただその方角を向いているというだけで、瞳は何も映っていませんでした。
- そして私が話し掛けても、僅かに身をよじる程度で、反応らしい反応を見せません。
- 食事の時には何とか、皆と同じテーブルを囲む椅子に座らせましたが、言葉を発することは無く、食事にもほとんど手をつけず、みるみるやつれていきました。
- 子供達も背負った暗い影を感じているのか、怖がって近づきません。
- それは、キラだけが私達の空間から切り離された世界にいるようです。
- その目に見えない私達との距離が、あまりにも遠い気がして、見ていて胸が締め付けられるような感覚がしました。
-
- また夜は夜でキラはほとんど眠れない状態で、少し眠ったかと思うと悪夢に魘されてすぐに悲鳴を上げて目を覚ます、そんな日ばかりでした。
- キラの悲鳴が聞こえる度に、私はキラの元へ駆け寄り、激しく肩で息をしているキラの手を握って、必死に自分の温もりを伝えました。
- しばらくそうして握っていると、キラの呼吸は落ち着くのですが、それからパッと手を振り払い、けれども申し訳なさそうに俯くのです。
- その度に、私の胸はズキリと痛み、不安と焦燥感が募っていきました。
- ですがそれ以上踏み込むことはできず、ただ安らかに眠れる日が来ることを願うことだけが、私にできる唯一のことでした。
-
- また悲鳴が私に聞こえるということは、家中の人にも聞こえるということです。
- 聞きつけた子供達も不安と怯えを浮かべた表情で起き出して、泣き出す子もいました。
- キラが落ち着くと、今度は子供達を宥める、それが毎夜繰り返されていたのです。
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- これではキラの為にも、子供達の為にもなりません。
- キラには傷ついて欲しくありませんが、このままではもっといけない気がしました。
- ですから私は意を決して、キラに事実を伝えることにしました。
- 視界には映らない何かを追いかけても、戻ってくるものは何も無いのだと言う事を。
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